そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

密度のある心理描写とスキル修行⁉︎ 『蜘蛛ですが、なにか?』6巻について

さて、今回紹介する作品はこちら、『蜘蛛ですが、なにか』の6巻です。

あらすじ
『蜘蛛ですが、なにか』とは、小説家になろうに連載中の異世界に転生した蜘蛛を主人公とする人外転生ものです。ある日起きた教室での爆発。それにより、その教室にいた生徒、全員が異世界に転生してしまう。異世界の蜘蛛に転生した”私”は、自分より強い獣や竜などのモンスターたちがはびこるエルロー大迷宮で生き延びるためにさまざまなスキルを手に入れることになる。はたして、蜘蛛に転生した彼女の運命は、なぜ彼らは異世界に転生したのか謎が謎を呼ぶ人外転生です。

『 蜘蛛ですが、なにか』は1巻から4巻までを読んでの紹介を下の記事で語ってるので、よかったらどうぞ。

1巻から5巻までの魅力
おもしろいですよ。最初はさまざまなスキルを駆使して戦うスキルチートものとして読むんですけどね。そのうち、同じように転生した他のクラスメイトたちの視点での話がはいる。

最初はさ、同じ時間軸の話かと思えばさ。じつは蜘蛛が生まれてすぐ迷宮をさまよって、成長する話と勇者として生きるある転生者の時間軸がずれてることがわかって、驚く。

そしたら、蜘蛛の話からはだいぶ未来の転生者たちの話によると。最近、魔王がいるらしいってはなしになってさ。もしや、魔王は蜘蛛なんじゃないかって思うんだよ。魔王もさ、まるで迷宮戦ったあるキャラのことを回想してるかのシーンがあるからさ。

そしたらさ、そのすぐ後で魔王と蜘蛛が戦う話になってさ。違うんだとわかる。

それにさ、蜘蛛もさ。たぶん何度も転生者の話題に出てくるあのキャラが蜘蛛の前世じゃねぇかなってさ。よく考えたら確定してなかったのにさ。うまい叙述で思いこんじゃうんだよ。でも違うんだよね。あだ名の子と、本名の子が別だったというのがわかり。5巻で二人が知り合う話をやったわけなんだよ。

とにかく、ミスリードが卓越しててさ。謎を解くたびに新しい謎が出るようにつくられてるんですね。だから先に先にと読みたくなるんです。

さらに、この作品のすごいところはさ。私とはなにか、自己のアイデンティティ、他者と自分との違い、精神と肉体の話といった、やや哲学的なテーマをさ王道の異世界転生もので描いている。

時間軸のズレや蜘蛛は何者なのかってとこに目がいってしまうんですけどね。じつは蜘蛛とほかのキャラとの視点の移動ってさ。ミステリー的要素を強めるためだけじゃなくさ。蜘蛛の精神性、異常性、あるいは特異性をさ。引き立てるための比較のために複数の視点で描かれているんですよ。

6巻での視点の移動もさ。じつはその辺を意識した構成になっています。

比較のための視点移動
今巻で視点人物となったキャラは四人いますよね。主人公の蜘蛛であり、今巻から名前がつけられた”白”。魔王のアリエル。白と同じ転生者のソフィア。大魔法使いのロナントです。

たとえば魔王アリエルの視点が一番わかりやすい。白は暇つぶしに、人形蜘蛛に服をあげたりしたわけなんだけどさ。じつは彼女の何気ない行動がさ。アリエルの視点では彼女を敵に回せない脅威として解釈する流れになってるんですよね。アリエルの視点は、白の純粋な能力値や行動を再評価する流れでした。

これはさ、ほかの乙女ゲー転生や俺TUEE転生でもあるんですよ。

今巻でさらにすごいのは。ソフィアとロナントの視点なんですね。

じつは、6巻に収録されているソフィアとロナントの話。ネットでは時系列が微妙に違います。じつは5巻の時にはすでに白とロナントが会ってたはずなんですよ。それが後にまわされてですね。今回のソフィアの修行と同時期になるように調整された。

そのおかげでさ。かなり面白いことになってる。

6巻ってさ。じつは1巻から4巻までの白がエルロー迷宮でのスキルを育ててきた日々をさ。ロナントとソフィアの修行という形で再評価してるんですよね。

たとえば、毒に侵されたモンスターの肉を食べることで毒耐性のスキルが育つ。ロナントはそれを知ってさ。もっと早くに白の元で、子供の頃から修行できたらって言うんですよね。

で、その子供のころに修行することをやってるのがソフィアなんだけどさ。そのソフィアは、まだハイハイしてるはずの赤ん坊の姿でさ。白にさ、蜘蛛糸で無理やり歩かされてる。ひどい虐待な訳なんだけどさ。じつは卵から生まれてすぐ迷宮走りまわった白のやってたことと同じなわけなんだね。

そんな感じでさ。人外転生や蜘蛛として生きる”私”のユーモラスな語り口で描かれた1から4までのエルロー迷宮での話が、ふつうの人にとってはどれだけ困難な状態だったのかを表現してるんですね。

努力と精神について
この二人の修行を通して、今巻で語られているテーマがあります。それが努力と精神の関係。ソフィアは主人公と直接関わることで、ロナントは間接的に関わることで。ある種の改心と決断をします。

でもですね。じつは最後の最後まで、主人公の白の内面を誤解したまま今巻では終わってるってことがさ。読んでる僕らにはわかるんですよ。

たとえばさ、ロナントは地獄のような日々に身を置くことで自己を鍛えたと考えています。ソフィアも、生きるのに必死にならざるおえない環境だからこそ、ツライ修行をせざるおえなかったと語ります。

二人はさ。1巻から4巻までのエルロー迷宮での冒険を必要に迫られて行わざるおえないつらい修行の日々だったと考えるんですね。

でもさ、実際蜘蛛である”私”の語るエルロー迷宮での日々を読んでみるとさ。そんなことがないのがわかりますよね。もちろん、死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされたりしたわけなんだけどさ。そんななかで二人が悪魔の所業とでも考えるような修行方法をさ。主人公の”私”はさ。いちいち葛藤したりしてなく、当たり前のように、スキルを伸ばすための効率的な方法としてやってんだよね。

この流れを見てさ。思いましたよ。
よくツィッターで見る神絵師や小説をメッチャ書いてさ。そのまま作家になる人にはさ共通してもっている能力があるんです。
それはさ、努力を努力と思わないこと。

絵が上手い人ほどさ。好きで描いてたら自然に上手くなったって言うしさ。小説を書く人もさ。友達どおしのクローズドな関係で行う企画小説でも楽しそうに書いてさ。実際これ俺たちだけで読んでいいのってくらいかなりおもしろいの書くんだよ。しかも、書籍化して、小説家になったら平気でそれを消したりする。

6巻での話のテーマもそれでさ。他の人がこの人はすごい努力をしてるって思ってても。当の本人は楽しんでたりする。それがなかなかできなくてさ。この気の持ちようっていう形のないものがどうしようもない差になったりする。
6巻はそういう天才はなぜ天才なのかって、話なんですよ。

書籍版を買いましょう
『蜘蛛ですが、なにか』はネットで連載中です。しかし、もし今からこの作品を読もうという方は書籍版をオススメします。
なぜなら、ネットと書籍で内容は同じでも書かれ方がかなり違うからです。
本作の魅力は入り組んだ時系列と読むたびに深まる謎です。しかし、ネット版だと、視点の移動のゆり幅が激しく。時系列もかなり入り組む。書き手の発想力とストーリー構成力により、おもしろく読めはするんですが、作品の全容が理解できずに読み進めてしまい。途中で読むのをやめてしまう場合もある。
書籍版だと時系列がかなり整理されてますし、6巻からは心理描写も密に描かれてるから、登場人物に感情移入しやすいです。

なのでこれから読む方は書籍がオススメです。