そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

イックーさんについて

さて、今回紹介する作品はこちら、『イックーさん』。

 

 

 

あらすじ

今は昔、夢漏町幕府の頃、さる山寺にイックーさんという、たいそうイキやすい小坊主がおったそうな。ある夏の夕暮れ時、声をかけられ「ンッ!?」軽くイッてしまったイックーさんは、小坊主たちから和尚さまが隠している蜜の入った壺の話を聞く。蜜ツボ…。勘違いをしたイックーさんは、壺捜しに加わることになるが…。「カクヨム」で異彩を放つ超絶倫下ネタコメディ!で、でちゃう?

 

 

 

 WEB版の時から好きでした。これが書籍化されると聞いた時はマジかと思いましたよ。この作品はスゴイ。落語じたてに綺麗に整理されたストーリー。ところどころで光る言葉のセンス。まさかの伏線に、時代考証を踏まえた上のパロディ。それでいて、どのジャンルにもおけないからこそライトノベルとなりうる独自性。それらからみえる多くの才能がまさかの小学生レベルの下ネタのために使われるこの贅沢感!

 

 

 

 カクヨムが開いたパンドラの箱ともいうべき作品です。グッジョブ角川!  よく開けてくれた!

 

 

本気の下ネタ

 

 この作品は上から下まで完全下ネタの昔話風のコメディです。下ネタと聞いてさ。僕らはバカにしたり。えっ、下ネタなの?ってつい手に取るのをやめてしまう。

 確かに下ネタは幼稚園の時に突発的に喋り出し。小学生高学年の時には話さなくなり。色気づく高校生の時に一部で復活して。大学生、社会人になる頃にはお酒の席でしか活躍しないスキルです。だからこそ、大体の場合がうんち、チンチン等のすでに下品とされる言葉を多用するか。セクハラと呼ばれる品のない言動のレベルにとどまる。

 

 

 だからこそ、僕らは下ネタを侮る。料理にいれたらその味にしかならないしょせんはナポリタンとかオムライスのような子供向けの料理にしか使わない調味料だろうとね。

 

 

 そんなことはない。下ネタだって立派な調味料。使い方しだいで、幼い頃には思いもしなかった味が現れる。

 

 大人になってからの本気の下ネタはそのひとの技巧、知識を試されるかなり難しいものなんですよ。イックーさんにも作者の鬼才が濃厚に出ています。

 

 たとえば、この作品はイックーさんというタイトルにするだけあってさ。イクにかけたギャグがたくさん出んだよね。これでもかってくらい。これだけでも作者の言語センスの高さが伺えますよ。

 

  とにかくどんどん下ネタを出す。読んでてよくここまでモツなって感心しますよ。

 

落語のような軽快な語り口

 

 畳み掛けるような下ネタの嵐。そこが魅力なんですけどね。そこだけだったら、まだまだケチャップライス。深みのある料理なんて言えませんよ。この作品の魅力はそれだけじゃない。

 

 最大の魅力は作品全体を支える読者に語りかける落語のような文体です。

 

(引用)

「おい、イックー!」

「ンッ!?」

 イックーさんは驚いて軽くイッてしまったが、小坊主たちは彼の絶頂を知らずに言葉を続ける世の中というものはまっこと、イキやすく生きにくいものよ。

 

  驚いてイッたというコメディな展開を広げながら、イキやすく生きにくいという上手いギャグを地の文にいれた良い文です。なぜ語りかける文体にしたのか。それは読者に語りかけることで僕らに笑うタイミングを教えているんですね。今上げた文もなかなかの名文なんですが、第3話の屏風でイク咄の地の文もスゴイですよ。

 

(引用)

二次でイッたとき、人は罪悪感を覚えるもの……そうであろう?

 その罪悪感が、イキながらにして完全にはイケておらぬ、賢者の刻を迎えながらも欲望をたもつ哀しみの戦士に、イックーさんを生まれ変わらせたのじゃ……

せつないのう。

 

 シリアスな笑いをいれながら、ようしょようしょに問いかけをいれることで笑うタイミングを教えてるんですよ。これもツッコミの一種なんですね。ツッコミというと相手の間違いを指摘するとこに注目しがちなんですけど、本来は笑うタイミングをいれる間なんです。

 

ライトノベルとしてのイックーさん

 さて、ここまで下ネタを中心にした作品なんだけど、下ネタもバカにできねぇぞって話をしました。でも、まだまだ手に取るのもためらう人もいるでしょう。

 

 そこで今回はライトノベルとしてのイックーさんについても話します。この下ネタバーストなイックーさん。人によってはこれはライトノベルなのかと、改めて考えてみると首をひねるかもしれません。文章は読みづらいようで読みやすい。落語のように語りながらもそこまで難しい言葉を使わない。難しそうで難しくない太宰治さんや京極夏彦のような丁寧な配慮があります。そして絵もコミカルで可愛いですよね。帯のイックーさんのポコポコチーンは必見です。

 

 では、読みやすく絵があればライトノベルなのか? そんなことないですね。嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんや空の境界はこれよりも読みづらかったですよね。

 

 

  こういったライトノベルとはなにか問題を語る時に僕がいつも思い出すのが、『僕は友達が少ない』の作者、平坂読さんが書いた作品、『ラノベ部』です。

 

 ラノベ部とは、とある高校で軽文学部、通称ラノベ部のゆるい日常を舞台にした作品です。3巻で終わっちゃってる作品ですけどね、僕、平坂読さんの作品はこれが一番好きなんですよ。この作品で新入生の女の子がライトノベル部に入る前、先輩にライトノベルってなんですかって聞くんですよ。するとさ、先輩は次のようなセリフを言うんですね。

 

(引用)

「読んだことのないものを偏見から判断することなく 、ジャンルや定義や権威に囚われることなく 、 『漫画みたい 』 『アニメみたい 』という形容をネガティブなものとして捉えることなく 、こういう小説のことをただこういう小説であると受け入れることができる新しい感性を持った少年少女のために 、 『こういう小説 』は書かれている 」

 

 この作品はたびたびライトノベルとはなにかってことについて言及してですね。僕、このセリフ好きなんですよ。

 

 イックーさんって、もしライトノベルではないとしたらなんなのかというとさ。じつはあまりあてはまるジャンルがないんですね。時代劇であって時代劇でない。ましてやミステリーやSFでもない。もちろん純文学でもない。されど世に出るべき新しい文学。本を開いたキミに驚きと困惑を与えたかもしれないけどさ。この本の底には新しいことに挑戦しようという希望があります。

 

 現時点ではこういう本としか言いようがないんですよ。だからライトノベルになり得る。どこにも属さないアウトサイダーに一時的なジャンルを与えるそれもライトノベルの役割なんです。

 

 だから毛嫌いしてないで読んでほしい。今から貼るアマゾンリンクでわざわざ買わんでもいいし。書店で注文するのも酷だろう。だが、本棚に置いてあるのをもし見かけたのなら手にとって数ページくらい読んでみてくれ。今ならweb版もあるからさ。