そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

くま、クマ、熊、ベアー

ネットが身近になったおかげでさまざまなことが無料で知れるようになりました。知るべきことがたくさんあって。だからこそ知ってもらうことにお金が必要になり。

 

それ以外が知ってもらうための手段となり。相対的にほとんどの娯楽が無料となって。全体的にモノの価値がお金だけじゃはかれなくなってる。

 

僕らの幸せは何で買えるのだろうか。ネットで小説を読みながら、何を買うべきかふと考えてみるそんな日々。

 

さて、第9回ネット小説レビューはこの作品、『くま、クマ、熊、ベアー』。

 

あらすじ

 VRMMOゲームをやる15歳の少女のユナ。
株で数十億稼ぎ、学校に行くこともなく、家に引きこもってゲームをしている。
本日も大型アップデートが行われるを楽しみにしてインする。そして、キャンペーンで、激レアチートの譲渡不可のクマさん装備一式を当てる。(クマの着ぐるみ、クマさんパペット、クマさんの靴)
でも、こんなのボッチでもゲーム内の装備でも恥ずかしくて着れない。
さらにキャンペーンのアンケートを答えてゲームを再開すると、クマさん装備の格好で知らない森の中。
ここはどこ? 神様からメール? 異世界?
クマさん装備を付ければチート、脱げば普通の少女。クマの着ぐるみを着たユナの気のままの冒険が始まる。

 

もう最初の数ページから可愛いすぎる。文章はすごい読みやすい一人称なんだけどさ。短い文でサクサク進むのに、今どうなってるのかわからなくなんないし。女の子の話を聞いてる感がたまらなくいいんですよね。

 

神様からチート能力を持ったクマの着ぐるみを着せられた女の子が異世界で戦うけどさ。異世界でも奇異で見られる格好で恥ずかしなりながらも戦うって時点で可愛いのにさ。使い魔も白と黒のクマで可愛いしさ。家もクマの家つくっちゃうしさ。出てくる魔法がぜんぶかわいいから。読んでてニヤニヤしちゃうのよ。

 

現実世界の知識を異世界に持ちこんで無双ってのもやってさ。お店も出す。そのうえ、おっきなモンスターはチートで倒し。人間関係を広げながら。自分のテリトリーを発展させる。異世界転生もののお約束をやったうえでさ。悪役は極力目立たせない。色々やって成功させた後で、じつはこんなやついたけど、小物すぎて相手にならなかったよってさ。主人公と関係ないとこで成敗する。

 

かわいさの邪魔になるものはうまく排除しながらも勧善懲悪のスカッと間も忘れてないんだよな。

 

5巻まででてんだけどさ、 今から次作が楽しみでしょうがない。オススメの一冊です。

 

 

 

 

悪役令嬢後宮物語

クールジャパンってあるじゃないですか。アニメ、漫画、ゲームを含む大衆文化も国が支援するぜって話。正直言ってさ、金かけてランキングやったりとか。総理がマリオの格好したとかさ。だれだれがクールジャパン担当大臣になったとか。対策室がどうとかさ。新しい天下り先つくっただけじゃねぇかと思ってんだけどさ。

 

スマホゲーをつくる会社がさ。テレビのスポンサーになったり、パチンコの台になったり、さらには海外の人気によってさ、アニメの収益が無視できないレベルになったおかげでさ。オタクをみくびっている人はいるかもしんないけど、サブカルを面と向かって非難することはなくなってさ。公の存在になっちゃいましたよね。

 

それはいいことなんだけども、不安なことでもありますよ。これから、僕らよりもおおきな声を出せるひとが、サブカルのどれかをこれがこの国が誇るべき文化だとプッシュする。それはいいことのようにも思うんだけどさ。わかりやすくぜんぶノーと言われてた時代と比べるとさ。つまりはそれ以外は違うって区別化されちゃうかもしんないんだよ。

 

それはもしかしたら差別よりもたいへんなことかもしんないよ。

 

それはテレビかもしれない、ネットかもしれない、まだだれも知らないユーチューバーかもしれない。ある日いつかオタクのファッションリーダーが現れて。このアニメがおもしろい。この漫画がおもしろいと言ってさ。それでなにを見たらいいのか。読んだらいいのかわからない僕らは安心すると同時にさ。それ以外の本来それもオタク文化と呼ばれてたものが片隅に追いやられてしまう。

 

そんな日が来たとしても、俺だけは本当に好きなものを紹介したいですね。

 

さて、第8回ネット小説レビュー。今日はこの作品、悪役令嬢後宮物語。

 

あらすじ

『エルグランド王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』と悪名高いクレスター伯爵家令嬢、ディアナ。その美貌で老若男女を虜にして弄び、逆らう者は容赦なく叩き潰す……美しく冷酷な彼女を、人は『氷炎の薔薇姫』と呼ぶ――「えぇと、それ、誰の話?」 嫌々ながら側室となってみれば正妃候補にされ、当の国王にはいきなり嫌われ、側室同士の勢力争いのトップに祭り上げられ、ついには刺客に命を狙われる……!? 人の心を弄びそうに見える美貌――“悪役顔”のせいで、やることなすこと誤解されながらも奮闘する令嬢ディアナの、勘違い系コメディ!

 

 おもしろいですよ。

 キャラのたてかたがうまいんですよね。悪女のようにみえる顔なんだけど、じつは優しいディアナ。同じく悪人顔の父親と兄。彼らのことをしっかり理解している優しい母。このキャラをですね。最初の数ページの母と父の夫婦ゲンカとそれを止めようとする兄弟のほんのちょっとの会話でしっかり読者にわからせ、彼らを好きになったうえではじまる。ちょっとクスっと笑っちゃう誤解劇。

 

やることなすことが悪だくみにみられてしまうというコメディだけでなく。それを逆手に取ったうえで行う勧善懲悪。じょじょにできていく仲間たち。異色でありながら王道って感じで読んでておもしろいんですよね。

 

最初は、少女漫画のメタみたいな話かなって思ったんですけど、結構当たり前のテーマをうまくファンタジーに落とし込んでいるんだと思います。

 

つまりこの話って、小さな問題を数多く抱えている集団をまとめるためにあえて嫌われ役を買わざる負えない立場の主人公が、部下の話を真に受けて社長に冷遇されたりしながらも、めげずに頑張っていくうちにそこで働く仲間から尊敬され、最終的には集団の中にある問題を解決するっていう現実でもよくある話なんですよ。

 

だから、ふだんと違う世界に浸りながらもキャラに感情移入ができて泣けちゃうんです。

 

続き出て欲しいな! ほんとマジで!

 

WEB版

ncode.syosetu.com

異世界に転生したら全裸にされた

小学生の時は手のひらでインターネットをする日がくるなんて思ってもみませんでした。

 

スマホ、スゴイっスよね。むかしはインターネットなんて家でしかできないもんだから。オタクの趣味としてさ。電車男なんかでは格好の笑い物だったのに。手軽になれば、みんなスマホに夢中になってるとおもいません?

 

昔と比べたらさ、アニメに嫌悪感を持たない人はオタクだと考えたらさ。けっこうなひとがオタクなんじゃないかな。

 

だからこそ、アニメが好きのハードルが下がって、みんながいろんな情報にアクセスしてさ。お互いが共有すべき教養というのがなくなっている。

 

今ってさ、それぞれで村をつくって、その村から外れている人を常識がないというようになってんじゃないかな。

 

いろいろ知れる状態だからこそさ、お互いが共有できるものがないってものがたくさんあるとおもうんだよ。

 

スマホがどうとか、ゲームやアニメがどうとかじゃないんだよ。いろいろな情報にアクセスできるから、なにが共有すべき知識なのか話題なのかわからないんだよ。

 

だれかを村八分にしてると思ったら、自分が村八分にしていた。生きてるとなぜか漂う孤独感、そう思うのは俺だけかなぁ。

 

さて、てなわけで第7回は異世界に転生したら村八分にされた、あらため、異世界に転生したら全裸にされたです。

 

あらすじ

俺は異世界で全裸にされたうえにロープです巻きにされていた。ちょっとしたドMな格好だが、
そういう店に来たわけではなかった。バイトの帰り、確か駅前の立ち飲み屋で一杯だけひっかけて帰ろうと思っていたところ、
気が付けば異世界でとある村人に拘束されてしまったのだ。
怪しいよそ者の俺が、転生先でつまはじきにされながらもハーレムを築きなり上がっていく物語、ここに開幕!

 

面白いですよ。読みやすさと読みごたえが両立していて、主人公に好感が持てます。

 

主人公の修太はフリーターで、いろんなバイトをしています。これの面白いとこはですね。その修太のバイト経験が異世界での暮らしに役立ってる。彼はこうした経験があるからこれができる。そこんとこをしっかり考えてあるからさ。主人公の成功に説得力がある。

 

さらにですね。この作品、元々のタイトルが村八分だったとこからもわかるとおり、村の人に認められ、成功しはじめるまでにけっこう時間がかかるんですよ。だけど、そこが欠点になってない。主人公がポジティブな性格だから、語り口が明るいんですよ。それでいて堅実。問題が起きた時、その問題の対処のしかたが他の異世界転生ものに比べて突飛じゃないんですよ。だから、丁寧に書かれているって感じますね。

 

リゼロとか、灰と幻想のグリムガルとかさ。異世界に行ったけど、現実は甘くなかったよって話はあるんだけどさ。この作品は主人公に降りかかる問題は理不尽だけど、解決の仕方は合理的なんだよ。そこがさ、異世界転生もうええねん!って時に読むとさ。メッチャいいんだよね。ホント、面白いの。

 

あとさ、ヒロインがかわいいを通りこして、愛おしくなるんだよな。カサンドラちゃんとかさ。ガンギマリーとかさ。0よりもマイナスまでいってるとこからスタートしてさ。その子との間のいろんなエピソードを積み重ねてからできる関係だからさ。他の作品よりもキャラの好きになりかたがじわじわ〜って感じがいいんだよね。キャラの記号だけをみての好きじゃなくていろんなとこをみたうえでの好きってなれるとこがいいんだよね。

 

自分の経験ってのが、作中にあって、文章はスリムでありながら伝えるべきことは伝えてる。全体的に明るくてシリアスなとこもちょっと笑える。読んでてさ、作者真面目だなって思う。この人こんなひとかなって思うんですよね。かといって、作家性がつよいというわけじゃないから押しつけがましくない。だから、この人の作品が本になったり、新連載はじめてたりすると。なぜか知り合いが書いているような気分になってつい読んでしまう。

 

この作品以外にも何作か本出てたり、小説家になろうで書いてたりするんでぜひ読んでみてください。

ncode.syosetu.com

 

  

 

竜の子を産んだら離縁されたので森で隠居することにしましたについて

 

 Twitterをはじめて4年経ちました。

 

pixivが小説機能をはじめたのと同時期にツィッターをはじめ、その時に知り合った書き手さんをフォローし、その友達、また友達のみなさんをジャンルを問わずにフォローしております。

 

だいたいザッと150人以上はフォローしてるんですけどね。そのなかの10人は書籍化してる。意外と多くない?

 

こういうのをみると、勇気をもらえますね。

 

ただ、チャンスがたくさんのひとにわたるぶん。そのチャンスをものにするのは難しそうだ。

 

最近、うちの近所の本屋にもネット小説のコーナーが12月の中頃にできたんですが、この棚の流動が激しい。

 

ちょうど知り合いの本が並んだ時があったのだけれども、一冊しか並んでなくてさ。しかも、発売日なのにメインじゃなく棚のすみにあった。それがまあ2、3日置かれたら消えた。

 

本になったからといっても、そこがゴールじゃないんだと思いますよ。

 

応援したい本がある。続きを書いてほしい本がある。

 

ブログのなかではがんばれと言っている、読んでほしいあなたにも。ウルフルズだね。

 

さて、第6回目に紹介する作品はこちら『竜の子を産んだら離縁されたので森で隠居することにしました』

 

あらすじ 

「1回のキスで子どもが授かるなんて幸運だわ!」。
家名目当ての望まない結婚をした箱入り娘のシャーロット。
夫は愛人の元に行きっぱなしで、義両親には使用人扱いだったが、いきなり妊娠!
でも、生まれたのは誰にも似つかぬ、というか、どこから見ても竜の子だった。
爵位と名を奪われ、婚家を追い出されたシャーロットは息子(竜)と共に、禁断の森で暮らすことに。
それから3年。北の森には魔女が住むという噂が王都で流れるようになり、と同時に怪しい人物が彼女たちの前に現れはじめ……。

 

今回は異世界転生なしのファンタジーを舞台にした作品ですね。世界観のイメージの源流はドラクエやFFなどのゲームでなく、赤髪の白雪姫とか、知らない国の物語、それでも世界は美しいみたいな。童話が少女漫画の世界で発展していった世界っぽいですね。

 

ネット小説にはけっこうあるし。漫画でも、あれこれ俺がいつも読んでるファンタジーと違うなって感じのあるんですよ。

 

俺のなかで、ファンタジーってふたつあるんですよ。童話系ファンタジーとゲーム系ファンタジーのふたつが。

 

便宜上、童話系ファンタジーと呼びますけどね。漫画でたとえるとリボンの騎士、ライトノベルならキノの旅ですかね。

 

魔法もあったりなかったりするし、ドラゴンもいたりいなかったりするんだけど、だぶんTRPGを起点にしてつくられたファンタジーとは別の経路を通って構築されたもうひとつのファンタジー。それが童話系ファンタジー。

 

少女漫画でけっこうある気がするんですよ。

 

だぶんさ、ファンタジーがTRPGに変わる前に、漫画、絵本のなかで発展してさ。時々ゲームと合流してるんだよ。

 

僕、姉が持ってた乙女系のゲームいくつかやったことあるんだけどさ。それのファンタジーもこれ系が多い気がする。

 

作品全体の雰囲気がひとつの童話を読んでるようなそんな気分になるんですよ。語り口が優しいんですね。ひとつひとつの設定を語る時がどこかにある国を紹介してるかのようで、読んでてひっかかりがない。

 

それとこの作品、三人称で書かれているんですけど、そこもグットです。話の内容は、竜の子を産んでしまった女性と竜の子の話なんですけどね。どうしても、この設定で優しい童話を書くにはですね。この女性が竜の子を産んでもその子を可愛がる天性に優しさと純粋さをもたせなきゃいけないんですけどね。それで、彼女の心の動きと成長に密着した一人称の作品にしちゃうと、彼女の心がつよすぎちゃって感情移入しづらくなっちゃう。

 

だからさ、この作品では、彼女と竜の子の関係、生活が描写される場面があるときはさ。必ず、乳母だったり、薬屋だったり、衛兵だったりとさ。彼女たちをそばで見て、安心したり、戸惑ったり、羨ましがったりするようなさ。僕らが感情移入できるふつうの人々の視点を介して彼女たちを語るようにしている。そこが丁寧なんだよね。

 

だから、シリアスになり切らずに一歩引いた目線で、ほっこりとした気持ちで読み進められました。

 

ぜひ、本屋で取り寄せてみてください。

 

WEB版

ncode.syosetu.com

 

 

 

スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってましたについて

書店に積んであったカクヨム受賞作たち。今朝見たらなくなってました。ネット小説は日々出版され、最近できたネット小説の棚もコロコロ変わります。

 

ゆく棚のながれは絶えずして、かつもとの本にあらず。メインとなった話題の本は、かつ消え、かつ出版され、久しく棚に並ぶ試しなし。

 

出版がはじまった時、嫌でも本は場所を取る。

カルマだね。

 

消えてしまう本があるのなら、

だれかが話さなきゃいけないよね。

おもに俺がさ。

 

さて、カクヨム受賞作紹介はいったんおやすみ。第5回目、ネット小説紹介、次の作品はなろう出身のこの作品、『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』。

 

あらすじ

現世で過労死した反省から、不老不死の魔女になって、スローライフを300年続けてたら、いつの間にかレベル99=世界最強になってました。生活費を稼ぐためにこつこつ倒してたスライムの経験値が蓄積しすぎたせいみたいです…。そんな噂はすぐに広まり、興味本位の冒険者や、決闘を挑んでくるドラゴン、果ては私を母と呼ぶモンスター娘まで押し掛けて来るのですが―。冒険に出たことないのに最強…って、どうなる私のスローライフ!?

 

読んでいて、焦ったり、不安になったりしないストレスを感じないんですよね。

 

それでいて、話の方向性とテーマがブレないんですよね。

 

主人公は転生前に過労で倒れている。だから今度は頑張りすぎない。自分のためのことをする。その考えでスライムを倒し続けた結果、レベルがMAXになり、周囲にはそんな彼女を慕ってひとがやってきて。彼女は家族をふやしていく。

 

この作品が伝えたいことって、だれが読んでもわかるんですよ。特別ななにかを目指した努力より、ふつうだと思うような努力を継続しておこなう。そっちのほうが大事だよってはなし。

 

じつはこの話、ワンパンマンに似てるんですよね。

 

ワンパンマンとは、WEB発のヒーロー漫画です。主人公のサイタマはヒーローを志し、修行し続けた結果、ワンパンで敵を倒せるようになる。ある日、サイボーグのジェノスから自分を弟子にしてくれと言われ……ってはなしですね。

 

あの漫画で、サイタマは悪い科学者にどうやってその力を手に入れたって言われるんですけど。彼、メッチャ深刻そうな顔で言うんですよ。

 

「腕立て伏せ100回、上体起こし100回、スクワット100回、ランニング10km、これを毎日やる‼︎!」

 

ワンパンマンもスライム倒して300年も同じテーマをそれぞれ方向性を変えていってるんですよね。ふつうの努力を継続してやるのが大切なんだよっていうね。

 

そんな単純なことって思うんだけどさ。これは今の時代、そろそろいろんなひとが言ったほうがいいんだよ。

 

むかしはさ、ジャンプがさ、努力、友情、勝利って標語を掲げてさ。みるからにキツイ修行をしないとさ。友情や勝利は得れないって展開を、僕らにとことん叩きこんだわけだ。

 

ジャンプ読んでなくても一緒だよ。

 

ドラゴン桜の時期さ。頑張るんだ、頑張ったらなんでもできる。お前がダメなのは頑張っでないからだってさ。漫画やアニメは言ってたし、ドラマも言ってたんだよ。

 

そんなふうに言われたらさ、僕らもさ、どーせ俺はダメなんだってさ。ふてくされるじゃない。だからめだかボックスの時期に修行シーンってのがなくなってさ。主人公が主人公なのは才能あるからだよねってはなしになってきちゃった。

 

そういうさ、努力の正しさってのが言葉の表面だけ社会に浸透しちゃってるからこそ。ブラックによる過労死が起きちゃうわけだ。

 

この作品はさ。そういう努力、頑張るって言葉の狂いをライトな作風で優しく優しく調整しようとしてるんだよな。

 

たとえばさ、主人公はさ。自分の弟子に対してこう言ってんだよ。

 

 

 

「頑張るって言葉をいい意味で使いすぎちゃダメ ! 」

私は社畜時代のことを思い出していた 。

今日 、無理に残業をすればどうにかなる 。

今日 、徹夜をすれば遅れは取り戻せる 。

そういう考えで何度も強引に物事を進めていた 。結果として 、何が起こるかというと 、常態的に無理を強いるスケジュ ールになってしまったのだ 。

もう結末は見えている 。

最後には私は過労死した 。

あれは一言で言えば頑張りすぎた結果だ 。

なので 、過剰な頑張りはもうやらない 。

日が暮れるまで働いたら 、もう残りは明日でいい 。

 

 

読んだ時さ。上手いな〜って思った。主人公の死んだ理由から話の積み立てかたまで、ぜんぶ一貫したテーマで書ききってだよね。スゴイよ、ホントに。

 

続きが読みたいからさ。みんなぜひ書店で注文して読んでみてよ。

 

WEB版

http://ncode.syosetu.com/n4483dj/

 

 

勇者のクズについて

ネットには今日も多くの小説が投稿されている。だれがネットで語るのか。ネット小説の書き手であり、読み手でもある神島竜が今語る。現在、できるだけ毎日更新中のこのブログ。そう、それが言いたかった。

 

さて、第4回目はまたしてもカクヨムネット小説大賞受賞作。勇者のクズ。

 

あらすじ
「勇者なんて、最低のクズがやる商売だ」改造手術を受けたヤクザが魔王となり、それを狩る職業が勇者として合法化した現代。金に困り勇者志願の女子高生3人の家庭教師となったチンピラ勇者ヤシロは、魔王の事務所へのカチコミ、勇者養成学校への不法侵入、死んだ勇者の遺品漁りなど落ちこぼれの少女たちを『指導』するうち、身体強化薬“E3”を巡る陰謀に巻き込まれ―!?第1回カクヨムWeb小説コンテスト現代アクション部門大賞作!

 

カクヨム受賞作の中では一番読みやすいです。路地裏で女性が襲われているところを助けると、その女子高生が自分の仕事を志す少女で、その少女たちは困っていてって導入があるんですけど。このへんで世界観の説明、キャラを立てることをやりながらサクサクとはなしを進めてるんですよね。

 

展開が速いけど、説明してるとこはしっかりしてるし、ちょっとの掛け合いでキャラが立ってるんですよ。

 

そうしたストーリーのうまさがあるなかで僕が面白いと思ったのが。バーで集まる主人公とその仲間たちと女子高生たちがうまく対比できてるとこですね。

 

主人公には女子高生たち以外にむかしからの仲間たちがいてですね。彼らは勇者に憧れたり、使命を感じたりする女子高生たちと比べると、勇者の仕事をその日暮らしの食い扶持と考えてて、基本、悪友と仲良くすることや自分の趣味を謳歌することを楽しんでる。

 

最初、大人と若者の対比で読んでて。うまく色を分けてるなって思いました。キャラの作風が違うようにみえるんですね。

 

で、読み進めると、あれ、どっかでみたことあるぞって思ったんですよ。

 

この大人たち。池袋ウェストゲートパークのキャラになんとなく似てる気がするんですよ。

 

いわゆる、アウトサイダー気取ってて。大人になったのに、不良のメンタルを捨てられなくて。仲間のためを優先し、狭い範囲で戦うヒーローですね。

 

もしかしたらこの作品、こういういわゆるセカイ系といわれたヒーローが消えつつあるんだけど、そんななかまた古いといわれたみんなのために戦うヒーローが今のどうしようもない現実を受け入れて現れようとしているそういう作品な気がします。

 

たとえば、この前、こち亀が終わったじゃないですか。彼はいわば酒とギャンブルとサブカルが好きで、近くの仲間を大事にするってキャラで。じつは勇者のクズと同じ要素のキャラ。それが終わって、べつのキャラが、新しいヒーロー像が必要になってる。

 

それは勇者という憧れとされる職業が決して憧れの職業ではないとしたうえで、それでもその憧れを希望を追いかけるいわばまどマギのまどかみたいなのが求められてる。そういう時代の変化によるヒーローのバトンタッチみたいのがあるんじゃないかな。

 

タイトルに1と書いてあるので、続き読みたいですね。オススメの一冊なんで是非どうぞ。

 

web版

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154963487

 

 

 

誰にでもできる影から助ける魔王討伐について

小説家になろうがオープンしてからもう12年は経ちましたね。

 

 僕が中学の時からはじまって、それから大学生の頃にSAOのアニメ化をきっかけに存在を知りました。それが今やここまで広がるとは思いませんでしたよ。

 

小説家になろうとは、文字通り小説家になるためのサイトってやつでして。そこで掲載された作品で人気になった作品は書籍化、コミカライズ、アニメ化しています。

 

むかしはちょっと大きい書店に行かないとネット小説の書籍化本はなかったんですけどね。最近、僕の近所の本屋にもネット小説コーナーができてマイナーなのも一冊は置いてくれるようになりました。

 

アマチュアとプロの垣根は崩れている。それはプロになってもアマチュアに読者を奪われてしまう厳しい世界になったということなんですけども、入り口がひろくなったようにみえるのはありがたいことですね。

 

しかし、この入り口もひろいようでせまい。

書店では次々とネット小説が並んでは消えていく、そんな彼らには共通する特徴がある。それは異世界転生だ。

 

異世界転生もの、じつはネットだけじゃなく、一般のライトノベルでもこれを意識した作品がちょこちょこ出てますね。

 

これ、アニメ化や書店だけでみると、二年くらい前から流行ってるようにみえるじゃないですか。どーも、かなり前からあるみたいなんですよ。

 

この素晴らしい世界に祝福をって作品、あるじゃないですか。あれは憧れの異世界転生をしたんだけど、なんか思ったのとちがーう!という異世界転生ものが流行ってるけど、実際はこうだよね。笑っちゃうよねって感じのさ、定番化したものを笑うって流れの小説家になろう出身の作品なんですけどね。

 

あれが書籍化されたの2013年なんですよ。

 

2013年ですよ。だいたい書籍化されたのがそうなら投稿されたのがもう一年くらい前だと思うんですよ。だとしたら5年以上前にようやくまだまだ異世界転生ものやってるよ笑っちゃうよね的なギャグはいってるんですよね。

 

のはずなのにだ。まだまだ書店に並ぶ異世界転生もの、最近なろうを知った俺みたいなのはまだいいだろうけどさ。かなり前からなろうを知ってる人からみたらさ。いまだに会社で倍返しだって言ってるおっさんをみてるようなもんなんだよ。

 

そうなるとさ。去年くらいからさ。笑っちゃうよねがだんだんと憎たらしいよねになってさ。今はもうさ。もうええねん異世界転生もの!って叫んでいるかたがポツポツと出てきている。

 

それがわかるのが今回、紹介するこの本。誰にでもできる影から助ける魔王討伐。

 

さて、ネット小説を紹介するのもこれで第三回ですね。今回もカクヨム第一回ネット小説大賞受賞作を紹介します。

 

あらすじ

魔王を倒すために異界から召喚された聖勇者、藤堂直継。彼のサポートを命じられた僧侶アレスは、パーティメンバーを見て愕然とする。火系統しか使えない魔導士リミス。流派を変えたばかりの剣士アリア。そして肝心の聖勇者は、女性ばかりをそばに置き、無謀な行動を繰り返す―。どうやって倒すんだよ魔王。色物集めてんじゃねえぞ。アレスはそこで、自分のレベルを隠して裏からフォローするのだが…。これは、ハイ・プリーストであるアレスが、聖勇者を英雄に導くまでの物語。

 

 この作品、いいよぉ。なにがいいてっさ。メッチャ異世界に召喚された勇者、藤堂直継にイライラすんだよ。

 

イライラっていうのがさ。なんでこんなことするんだとかさ。こんな理不尽なこと起きるなんてってイライラじゃないんだよ。

 

たとえるならさ、飲み屋でそこにいないやつの悪口を言ってさ。わかる!って思ったときのイライラなんだよ。

 

俺らさ。よく、芸能人が浮気しただとか。あの芸人がへんなこと言ったとか。あの元社長があんなことしたとか見てさ。イラって思ったときさ。Twitterで検索したりさ。2ちゃんのまとめみたりとかしない。悪口あるの前提でさ。

 

それで、悪口みつけてさ。そうだその通りだ、って思ってさ。イライラすんだけどさ。その時のイライラって、最初のイライラと違うじゃん。そのイライラはさ。心のなかで思ったことをだれかが言ってくれた、そういう共感による安堵とかうれしさも混じったイライラだと思うんだよ。

 

この作品の主人公はさ。現実世界から異世界に召喚された勇者、ではなく。その勇者とパーティーを組むハイプリーストのアレスなんだけどさ。

 

これも去年からはじまった大きな流れの答えなんだと思うんだよ。

 

異世界転生する彼は俺だって感情移入していく流れがあったんだけどさ。こんな性格が悪くて、自分勝手な男は俺じゃない!って流れがここへきてようやく出たんじゃねぇかなと思う。

 

むかしは現実世界では冴えない主人公が異世界転生して俺ツェーするのに感情移入できたんだけどさ。今はさ、その主人公のうしろでなんでここでこんなとこでこうするんだってイライラするちょっと離れた立ち位置で読む読者が多いんだな。

 

そのくらい、藤堂直継はあるとこまではとことんイライラするし、好きになれないキャラになってて。そのぶん、それをサポートするアレスはカッケェって思うようにできてる。

 

オススメの一冊なんで、ぜひ読んでほしい。

 

web版

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880238351

 

 

 

 

横浜駅SFについて

最近、近所の書店のネット小説コーナーが広くなりました。SAOから続くなろう小説のアニメ化ラッシュ、対抗馬のカクヨムのオープン。こうしたことでアマチュアの入り口がひろくなるのは喜ばしいかと思いましたが現実は甘くない。

 

どこかのコーナーがひろくなるということは、別のコーナーがせまくなるということだ。

それがどこかといえば、ライトノベルのコーナー。前は4棚ぶんあったそこは二棚となり、そこにネット小説のコーナーができた。なんてことのない、ネット小説が市民権を得たのでなく、ライトノベルを読む層が一般のライトノベルよりネット小説を読むようになっただけである。そういえば、昔はあった書店がどんどんつぶれ、イケヤ以外の家具屋で本棚の数が減ってるそうだ。数少ない娯楽の時間が本でなくスマホに割かれるようになったのだろう。

 

アマチュアの入り口というのは確かに増えているがそこからペン1つで食えるようになる道筋はまだまだ厳しそうである。

 

 

 

それでも、語らなければいけない本がある。語れるのならばはてなブログで。そのブログこそ、神島竜のそう、それが言いたかった。

 

さて、昨日からはじめたネット小説紹介、第二回目。僕の妹はバケモノですに引き続き紹介するのはまたしてもカクヨムネット小説大賞書籍化作品、その名は横浜駅SF。

 

あらすじ

改築工事を繰り返す“横浜駅”が、ついに自己増殖を開始。それから数百年―JR北日本・JR福岡2社が独自技術で防衛戦を続けるものの、日本は本州の99%が横浜駅化した。脳に埋め込まれたSuikaで人間が管理されるエキナカ社会。その外側で暮らす非Suika住民のヒロトは、駅への反逆で追放された男から『18きっぷ』と、ある使命を託された。はたして、横浜駅には何があるのか。人類の未来を懸けた、横浜駅構内5日間400キロの旅がはじまる―。

 

12月にカクヨムネット小説大賞が5作、書籍化、販売されました。カクヨムのオープンは去年の2月で、これがはじめての書籍化です。もし、このなかからどれか一冊をおすすめするとしたら、ぜひとも読んでほしいのが横浜駅SFですね。

 

あらすじからして目を引きますよね。「横浜駅が増殖してしまった未来」。

 

じつは受賞前からニコ動の広告に入ったり。受賞後もCMがあったりですね。カクヨムでも一番プッシュされているわけなんですけども。

 

それはこの作品が一文でインパクトのある世界観が説明できるからだと思います。

 

進撃の巨人の「巨人に人が食われる世界」みたいにですね。この作品はプッシュする魅力がなんなのかがわかりやすいんですよね。それでいて、そうした世界であればどうなるかというディティールがこまかい。

 

横浜駅が増殖するとして、どんな人が住んでいて、どんな生活があって、どんな経済がまわってるのかというのがちゃんと書かれている。

 

インパクトのある嘘を出したうえでその嘘を支えるための細かな設定があるから。人間や社会の本質とかその世界をみたうえでの主人公の変化からいろいろなテーマが作者の意図していなくても出てきている。

 

本当に読んでて面白い重厚なSFになってます。

 

こうした作品がネット小説の書籍化として選ばれたことがさ。なろうとは違うんだよっていうカクヨムの宣言に僕には思えましたね。

 

web版

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154905871

改築工事を繰り返す“横浜駅”が、ついに自己増殖を開始。それから数百年―JR北日本・JR福岡2社が独自技術で防衛戦を続けるものの、日本は本州の99%が横浜駅化した。脳に埋め込まれたSuikaで人間が管理されるエキナカ社会。その外側で暮らす非Suika住民のヒロトは、駅への反逆で追放された男から『18きっぷ』と、ある使命を託された。はたして、横浜駅には何があるのか。人類の未来を懸けた、横浜駅構内5日間400キロの旅がはじまる―。

 

 

僕の妹はバケモノですについて

近所の本屋さんにもネット小説のコーナーが増えてきました。たくさんの作品が書店に並び消えていく。そんな大量の本の中から、ぜひとも読んでほしい一冊。ここで紹介します。

 

聞いてください、カクヨム第一回ホラー大賞受賞 鹿角フェフ著 『僕の妹はバケモノです』。

 

さて、気まぐれに書店に出向き、マグレでみつけた紹介すべき本を紹介するこのコーナー。第一回は『僕の妹はバケモノです』。

 

あらすじ(カクヨム引用)

ある朝、彼は誰かに起こされる感覚を覚えた。だが彼は気づいてしまう。微睡みの中、嬉しそうに微笑むのは死んだはずの妹だということを――。その日を境に、暁人の日常は信じがたい恐怖に塗り替えられていく……。

 

死んだ妹が蘇る。これだけ聞くといろいろ思いつくじゃないですか。死んだ妹が蘇ったとして、そいつは本当に妹なのか。その妹が蘇るのになにが代償があるのか。妹と同じ蘇りが別のとこでも起きているのか。

 

最初読んでて。こうなんじゃねぇかなって予想をけっこう裏切って。最後まで読んだ時、こう来たか、上手いなって思いましたよ。

 

この作品ですね。途中、異形が出てきてそれによる恐怖ってのもあるんですが、それが主題じゃないんですよね。あくまでそれは主題を引き立てるための添え物なんですよ。

 

この作品の主題は、そういう醜いバケモノじみた裏側や経緯を経た上でそれでも日常を継続することを選択しちゃう主人公に共感しちゃうのが怖いんですよ。

 

恐怖っていろいろあるんですけど、僕の妹はバケモノです、で感じる恐怖っていわゆる一人の人間が恐怖に染まるのをみて俺もこうなるんじゃないかって考えてしまう。そんな類の恐怖があるんですよ。

 

みなさんはアンフレンデッドって映画観ましたか。すっごい怖いんですよね。

五人の男女がスカイプしてると、謎の6人目が会話に参加する。じつは彼女は自殺した彼らと同じ大学の同級生でって話で。こっから先はネタバレなんで言わないんですけど。あれさ、ずっとスカイプをやるパソコンの画面を映し続けてんだけどさ。友人と話しながらメールでスカイプ中の友人の悪口言ったり、自殺した友達を悼むフリして、自殺のきっかけになった動画を見てたり、そういうこまかい悪意を見てるとネットのなかで悪口を言ってる俺たちってのをまざまざと見せられる感じがしてですね。胸が苦しくなるんですよ。

 

あの時の居心地の悪さがこの作品にもありました。

 

僕の妹はバケモノですはさ。ようはさ、いるはずもない虚構にすがりつく俺たちってのを描いてる作品なんだよ。

 

この作品の蘇った妹ちゃんはさ。序盤からわたしは妹じゃありません。本当の妹は死んでますって言ってるんだよ。そこがさ、新しいなって俺が最初にくらったパンチでさ。その上で主人公が受け入れる変わらない日常ってのがあとあとでボディーに響いてくんだよな。

 

主人公は本来妹を失っていて。蘇った妹に起こされるまではそれを受け入れていた。しかし、仮初めの妹が蘇ったことで失う前の日常を生きるという選択肢を得てしまいそれを選んでしまう。それが作品全体の恐怖の要なんですよ。

 

失えたはずのものを失わないままにする。これ、ぼくらけっこうやってますよ。まず、アニメやライトノベル。

 

ぼくらは学校時代に選べたはずの日常、得られたはずの青春に少し心を痛めてしまう時がある。アニメの主人公に学生が多いのはそんな青春を一時でも取り戻したい。そんな気持ちがあるから。

 

僕らは会社の仕事がつらいとき。こう思う。もっと環境が違えば。そういって異世界に行ってみる。

 

サブカルだけだと思うだろ。お前だって例外じゃねぇぞ。

 

東日本大震災とかさ。原発とかさ。景気の悪化とかさ。たぶん現在進行中で失ってたり、変わっちゃったりしてるものがたくさんある。だってのに、俺らってやつは変えるべきものを何も変えずに続くはずのない失われていたはずの日常を継続中だ。

 

僕の妹はバケモノですはさ。その失ったはずなのに失ってない状態続けている俺らを一発ツッコンでる話なんですよ。

 

気になる人は読んでくれよな!

 

web版

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154929290

 

 

 

 

平和の象徴、艦娘に襲いかかる怨念 劇場版艦隊これくしょん

昨日、劇場版艦これを観ました。

 

ネタバレあるよ!

 

あらすじ

吹雪たちは任務のため、ある海域にいると突然謎の声を聴く。皆が不安がるなかなぜか落ちついた様子を見せる吹雪。声の中心からは赤い水が広がり、それが艦娘たちの艦装を傷つけた。そんな中、一人の艦娘が救助されるそれは死んだはずの如月であった。

 

想像してたよりよかったので俺は好きですよ。

 

まず艦これをやってて観たかった部分が見れたことがよかったです。

 

偵察中、艦娘の肩や頭に乗って双眼鏡で辺りを見渡し、敵を発見すると艦娘に耳打ちする妖精さん。肩のライトを照らしたり、刀で弾をはじいて、敵に近づき腰の魚雷を放つ艦娘。キャラの情報が立ち絵と声だけじゃわからなかった。こいつらどうやって戦ってんだっていうディティールが劇場版でようやくわかった。そこがいい。

 

テレビ版でやるべきだったんですけどね!

 

しかも、敵に攻撃されるとはだけるだけじゃなく。ちゃんとひたいから血が出て、フラフラになりながらも敵と戦わなければいけない。戦闘に緊張感が出てました。

 

テレビ版だとやたらと被弾してゲームのセリフを見ながらイヤーンって感じでですね。シリアスしたいのかギャグやりたいのかわかんない状態だったけどね!

 

これができるなら最初からやれよ。その通りですよ!

 

しかも、このスゲェと思った戦闘シーンは合計で30分も行かなくて残りは会話シーンです。しかもそこは座ったり。立ったまま動いちゃいけないシチュエーションでうまくキャラが動かなくても不自然ではないシーンを選んでるんですね。

 

テレビ版と比べると棒立ちがないように見えるのはその辺の手抜きが上手くなったからでしょう。

 

その辺も踏まえて、あえて俺は艦隊これくしょんを評価したい。描きたいテーマってのが個人的にはいいと思ったからだ。

 

こっからネタバレ全開で行くぞ。

 

今回、メインとなる話が如月の復活と深海戦艦の正体、声の正体と吹雪との関係です。

 

じつは生きていた如月。だが様子がおかしい。それもそのはず、彼女はじつは徐々に深海戦艦に変貌しようとしていたのです。ここで加賀の口から明らかになる事実。じつは深海戦艦が轟沈すると艦娘になり、艦娘が轟沈すると深海戦艦になる。如月を助けるには深海戦艦になった彼女を轟沈させなければいけない。

 

ゲームやってて、みんな気になってたテーマだからこれやってくれたのはうれしいですね。しかも如月が深海戦艦化に恐怖する場面はエグくて最高ですよ。

 

戦闘時、異質だと思っていたものがじつは同じだった。これはベタだけど。すべての争いの本質なんですね。この人は他と違う。そう考えるから争いが起きるわけだけど。結局はどちらもヒトであり、環境と育ちで違うようにしか見えないってわけです。

 

深海戦艦と艦娘は同じである。自分たちの戦いはなんなのか迷いながら、彼女たちは赤い水面の中心に向かう。仲間たちが足止めを食らう中、吹雪だけがその中心にたどりつくと、そこにいたのは深海戦艦に姿を変えたもう一人の吹雪だった。

 

じつは劇場版の舞台は吹雪が沈んだ海域らしくってですね。そこは不勉強だから俺もよく知らないんですが。話によると、吹雪という戦艦はここでなんの活躍もできずに沈んでしまう。その時のこんな終わりは嫌だという心残り、陸に帰りたいという想いが吹雪という艦娘を生み、負の部分のもう一人の艦娘を深海に残した。それが赤い水面の中心の声の正体だった。もう一人の吹雪は艦娘の吹雪を恨んでいる。過去を忘れ、幸せな少女として本来沈むはずだった運命の戦艦たちを次々と助ける彼女を恨んでいた。だから彼女は水面を赤く染め、彼女を呼び戻したわけです。

 

つまりこの話は、戦争という負の側面を見ずに艦娘なんて萌えキャラをつくりあげるDMMのやり口を批判する怨霊の話なんですよ。

俺らは青葉を写真を撮る女の子に変えたり、電をドジっ子にしちゃったりしてるわけだけど、戦争をそんなふうにチャかしやがって許せん、みたいなツッコミがあるわけだ。

 

実際、テレビ版の一番の失敗は戦争の重さを中途半端に引き受けようとしながら、チョイエロコメディをやろうとしたのがダメで。このツッコミはもっともな話なんだよ。

だからその反省を含めた上のアンサーとして、今回の話は全体的に暗い場面を映しながら、もう一人の吹雪との綺麗な彼岸花のなかで抱き合うラストを描いている。

 

この辺は戦争の負の側面を重さを受け入れた上で艦娘を描くっていう製作者の宣言に俺は思う。

 

だから俺は応援してるし、アニメでガッカリしたみんなにも劇場版を見てほしいと思う。

 

この世界の片隅について ネタバレあるぞ!

この世界の片隅に、を観ました。

 

ネタバレありです。

 

この作品は、絵が得意な少女のすずさんの視点で語られる戦中の日本の人々の暮らしと彼女の成長を描いた物語です。

資金はクラウドファウンティング。すずさんの声優にはあまちゃんの主演であり、事務所との対立により仕事を干されていたのんさんが起用されています。

 

観ていて、ここまで心を動かされ続けて呆然とする映画ははじめてでした。

 

とにかくキャラの動かし方。街の描き方が上手い。すずさんって人が本当にいるように感じるんですよね。

 

だからこそ、キャラに感情移入をしてしまう。そうしたリアルを意識した上でこの映画には彼女の主観もしっかり描いている。

 

たとえば、すずさんがはじめて空襲を受けた時。彼女はここに絵の具があればな、って言ってて。そうすると飛ぶ戦闘機とすずさんが絵の具で描いた場合の戦闘機が交互に映り、爆発もカラフルになる。そういった主観とリアルが入り混じった表現を要所要所にいれながら彼女の成長を描いています。

 

なんで彼女があの時、空襲を綺麗だと思えるかと言うと。彼女は絵を描く才能と感性があるからなんですね。

 

俺らもそういうとこあるじゃないですか。なにかつらいことがあったとして、それを小説だったらどう描けるか。漫画だとどう描けるか。Twitterでなんで話すか。このようにつらいことに対してべつのフィルターを通すことでそれをつらくなくす。べつの意味合いに変えてしまう。

 

前半にこの世界の片隅ににあるのんびりしててクスっと笑える世界観はすずさんの絵を描くフィルターによって支えられているんです。

 

それが同じ小説書きの俺にはわかるから観てて不安だし、胸が詰まりそうになるんですよ。彼女がこのまま成長したらダメなんじゃないか。このままだととんでもないことが起きるんじゃないかって。

 

べつに悪いことでもないんですよ。現に彼女がそうしたフィルターを持っていたからこそ、海が嫌いだった水原くんはすずさんの絵のおかげで海が好きになるし。屋根裏に住んでいた白木リンさんにスイカと着物をあげることができた。

 

でも、ハルミさんは助けられなかったじゃないですか。

 

べつにすずさんが悪いって言いたいわけじゃないです。でも、彼女はなまじ他の人とは違う感性があったもんだからなにかに気づく時。自分のフィルターを通してからじゃないと動くことができなかったんです。時限爆弾だって通りかかった軍人さんに注意されたのに。彼女は授業を受けた時のことを思い出してからじゃないと動けなかった。

 

そして、彼女はハルミさんと自分の右腕を時限爆弾で失っちゃうんですよね。ここ、観ててキツイですよ。怒っていいのか。泣いていいのかわからない。〇年〇月〇〇した右手と繰り返しつぶやくのんさんの独白と共に崩れていく家。左手では彼女の描く絵は歪になることを表現することで彼女のフィルターがなくなってしまうことを表現するシーンに俺はムカッともするし、やるせない気持ちにもなる。

 

右手をなくすことで、後半、彼女はフィルターがない状態で戦争に向き合わなければいけなくなる。その証拠に、右手がなくなった後の空襲では前はカラフルだった爆発がただの白い煙になってるんですよね。

 

この辺、シンゴジラのテーマに通じるとこがあります。

 

シンゴジラ、広告で虚構対現実って書いてあるじゃないですか。あれって、いわゆる原発安全神話とか、今の日常がこれからも続くっていう、僕らがぼんやりと考えていた信仰がある日、震災によって破壊される。つまり、シンゴジラという虚構の存在が現れるまでもなく、僕らは虚構で守られていて、その虚構を虚構であるゴジラが破壊し、そのうえで立ち上がった僕らは現実と戦わなければいけない。そういったスクラップアンドビルドがテーマの作品なんです。

 

そして、この世界の片隅にでも、時限爆弾によって、すずさんは虚構を破壊され、現実と戦うことになるわけです。

 

そこで印象的なのは、家に爆弾が落ちた時ですね。すずさんは逃げる途中、自分の家に爆弾が落ちるのを発見する。その時、スゲェ長いことそれをみつめて。意を決してすずさんは叫びながら消火するんですよね。

後でモブさんがあのまま防空壕に逃げてたら、家が焼けてたって言ってるんですけどね。もし、右手があったら、すずさんは習っていた通りに防空壕に逃げて。家を燃やしてたと思うんです。この時から、彼女は自分で考えて行動しはじめているんですよ。

 

他にも、すずさんはあの後、アメリカが空から配ったビラをトイレの紙にしているんですけど。そこも家を守るために彼女が自分の考えで行動するのを表しています。

 

その辺の彼女の心の動きを語るうえで、俺がロックだなと思うのが広島の原爆シーン。

 

すずさんさ。その時、ケイコさんと話しててさ。ある瞬間でやっぱり呉にいますって考え変えるじゃないですか。あの瞬間が何かと言えば原爆が落とされたことで、彼女のいる土地まで原爆による光が届くシーン。絶句しましたよ。そこと彼女の決意が重なっちゃうんだって。

 

あそこはかなり不謹慎だと思いますよ。 自分の故郷が破壊される瞬間に自分は呉にいるんだっで決意するわけですから。

 

戦争を通して、一人の女性の成長をかなり危ういラインで書いちゃってるんですよね。

 

こうして、どんどん強くなり、成長していく彼女なんですけど。ある日、避けようがない真実に直面する。

 

それが戦争が終結するシーン。

 

彼女はラジオで天皇の言葉を聞いて。戦争が終わったことを知るんですけどね。彼女ったら、まだ戦えるここに五人もいるし、左手と両足があるじゃないかって言って、外飛び出すんですよ。すると、なぜかある民家から朝鮮?の旗が出てくる。それを見て彼女はウチらは他の国からの米や麦でできてるのか。だから暴力に屈するのかって叫び、こんなこと知りたくなかった、のほほんとした自分のまま死にたかったって泣くんですよ。

 

俺、観た時何言ってんだこの女って思ってたんですけどね。どうも違うらしいんですよ。

 

これは岡田斗司夫ゼミという。アニメ会社ガイナックスを設立して、今はアニメ業界引退してる元社長さんがやってるニコ生で出てた話なんですけどね。

 

なんでもあのシーンでは、日本が負けたことで失意に沈む中、自分たちの敗北を喜び旗を挙げる人たちがいる。それは自分たちが暴力で虐げた人たちでだからこそ、自分たちも同じ暴力に屈するのか。そんな事実を知らんまま死にたかったって意味らしいんですよ。

 

俺もこの辺は不勉強なもんだから、下手なことは言いたくないんですけどね。ここでようやく彼女のフィルターが全部外れるんですね。

 

散々っぱら、俺も彼女の絵描きとして現実を認識するフィルターを批判してきたんですけどね。虚構に包まれているのはなにも俺らだけじゃないんですよ。だれもが映像のなかにちゃんと写っているし、視界にも入っているのに認識していないことがあるんですよ。現にすずさんの発言も突然言いだしたようで、じつは闇市の時点で台湾米を売ってる商人の話がちょっと出てて。加害者側の日本の部分もちゃんと描いているんですよ。

 

その辺の右葉曲折があって、彼女は一人の戦争孤児を助けるんですよね。ここに傷つきながらも成長したすずさんのすべてがつまっていると思いますよ。一度目はへぇこうなるか、よかった〜って安心したんですけどね。二度目は泣きそうになった。

 

とにかく、観てないやつは絶対観ろよな!

 

 

 

私がモテてどうすんだについて

 テレビには、今期も新たなアニメが生れている。

 だれがアニメをみはるのか。だれがアニメをウォッチするのか。

 にわかアニオタ、神島竜が今立ちあがる。

 惰性の習慣アニメブログ。つまりこういうことがいいたかった。

 

 さて、週間ではありませんが習慣でみるアニメをおもいつきでおもいっきり評価するこのブログ。今回紹介するアニメはこのアニメ、『私がモテてどうすんだ』

 

あらすじ

芹沼花依(せりぬまかえ)は太っていて中身は優しい腐女子であった。ある日、彼女は自分の好きなアニメの推しキャラシオンの死のショックで塞ぎ込んでしまう。それから一週間後、学校に戻ってくると周囲は驚愕する。なんと花依はシオンの死のショックで痩せてしまい、美少女になったのだ。痩せた花依にクラスメイトの男子の反応もいつもと違っていて……

 

この作品の魅力は主人公の花依です。この作品、漫画だと彼女の恋よりもオタクな自分が好き、BLが大好きってキャラを立たせるのに1巻使ってて、3巻でようやく周囲の男子のキャラを立てています。さらに大事なのは周囲のキャラも彼女のオタクな面を好きになっているって点ですね。

 

だからこそ、ヒロインも周囲の男子も好きになれる。

 

アニメだと、声優効果でキャラが立ってるからか。3巻4巻あたりの男子が芹沼の内面を好きになる話を意図的に後回しにしているようです。ですので、漫画のほうもぜひチェックしてみてください。

 

ニコニコチャンネル

私がモテてどうすんだ

http://sp.ch.nicovideo.jp/watamote_anime

 

ヒナまつりについて

この前、ヒナまつりを最新刊11巻まで読破しました。

 

ヒナまつり

https://www.amazon.co.jp/dp/B00C40EU46/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

あらすじ

ある日、ヤクザの新田の家になぞの球体が出現。その球体から、一人の少女が現れる。彼女の名はヒナ。新田は追い出そうとするも、ヒナは超能力を使い部屋のものを壊そうとする。しかたなく、新田はヒナを娘として住まわせ、二人の奇妙な暮らしがはじまる。

 

あらすじだけみると、ふつうの話っぽいじゃないですか。違うんですよ。読んでるとですね。じわ〜っと面白いんですよ。

 

この漫画は基本1話完結のギャグ話の連続です。スゴイのは、この1話完結のギャグがちゃんと積み重なってキャラの成長、変化につながってるんですよ。

 

前の話のエピソードをちゃんと引き継いだ上で次の話をやるってのがうまいんですよね。

 

 オススメなんで、ぜひ読んでみてください。

 

新連載、CICADAが面白い。

今月、初めてスピリッツを買いました。

 

目的は今月からはじまる新連載。

山田玲司先生の最新作、「CICADA」です。

 

山田玲司先生とはっ!?

漫画家、ゼブーラマン、Bバージン、NG、アガペーズ、絶望に効く薬、アリエネなどを発表。現在、ニコニコ生放送で山田玲司のヤングサンデーを放送しながら、月刊スピリッツで「CICADA」の連載をはじめる。

 

玲司先生のことは岡田斗司夫ゼミの対談で知ったんですよ。そっから、ヤングサンデーを見て、アリエネ特集の前あたりからちょくちょく先生の作品を買い集めたんですよ。

 

 好きな作品はNGですね。

 

NGとはっ!?

伝説のジゴロを父にもつ男、芥川魂輝は憧れの女性、朝水灯と結ばれるために父が残したジゴロテクニックを書き記したアムリタ教典を開く。

 

この作品が一番好きですね。

 

 主人公が読むアムリタ教典には、女性の苦しみを解くためのテクニックが書かれているんですけど。この漫画はですね。女性だけでなく男性の苦しみもちゃんとクローズアップされてるんですよね。

 

これはまた今度書きます。

 

玲司先生は女性の悩みや心理も描けるんですけど。男の本音や心の叫びみたいなものを描くのがスゴイ得意なんですよ。

 

今回の「CICADA」の1話の主人公の男の子の鬱屈さも最高でした。

 

最初の3ページからスゲェんですよ。

 

「だから俺は貧乏ですぐ折れる、クズ野郎なんだよっ!!」

って叫んでてさ。たぶん主人公なんだよな。涙目でさ。いい表情してんだよ。必死に叫んでるようなさ。心に届くような表情がさ。原作者つきの漫画の絵で読めるなんて僕、思ってもみなかった。

 

だってさ。俺、原作、作画と言えばさ。デスノートやバクマン、めだかボックスとかだけどさ。絵が綺麗でも、人形で笑ってるみたいになるんだよね。だけど、これスゴイね。なかなか原作と作画分かれてて、キャラの表情がいいとか俺、あんま知らないよ!

 

でさ、この後の流れが好き。

 

「でもプライドだけはでかすぎるし何の取り柄もないし、

 君にふさわしい男なんかじゃないし……」

 

顔のアップから一転して街中を車で逃げるシーンでさ。逃げてるなってわかったと同時に、さっきは叫んでたのに急に弱々しい声で早口で自信なさそうに喋ってんだろうなと思いましたよ。でっ、「結局僕らの時代は真っ暗で、きっとくだらない大人になって、適当に死んでゆく」って言葉が目に入って。

 

わかるわ、って思いながらさ。次のセリフですよ。

 

「ねえ、レム……それって」

「「それでも好き」って……言って欲しいの?」

 

主人公の目が見開いて。俺もなんか急に心臓を鷲掴みにされたような気分になりましたよ。なんも悪いことしてないのに俺も図星を突かれたような気分になったよ。

 

次のページでにこっと笑ってさ。この笑うってのも完全な笑顔じゃなくて口角が微妙にあがってる。死ぬ直前の安らかな笑顔みたいな感じでさ。

 

言うんだよな。

 

「全部好きよ」

 

 次のコマで歯ァ食いしばった主人公。

 

「だめだ。」

 

ああ、だめだよ!女の子にこんなセリフ言わせる主人公がだめだし。弱音吐いてちゃだめだし。この娘、今にも死にそうじゃんか〜! もうどうすんだよ主人公!

 

俺の心が持ってかれそうになったよ。かれそうになったっていうのはな。そうやって漫画の女の子に3Pで俺なんだがな。それでもホットになれきれずに冷静に分析してやろうと考えるクールなもう一人の俺が言うんだよ。

 

「こんな女、現実にはいねーし」

 

スゲェぞ、この作者。俺の、俺だけが考えていたとおもいこんでいた心のなかのつぶやきをな、伏線にしやがったんだぞ!

 

 どういうことか気になったんなら読め!読めばわかるから。みんなも今月のスピリッツは読もう!

 

 

 

 

 

 

 

ファイティングドリーを観ました

ファイティングドリーを観ました。

 

あらすじ

前作、ニモを探しにマーリンとともに旅をしたドリーは、激流に巻き込まれたことをきっかけにドリーの父と母のことを思い出す。ドリーは小さな時に家族とはぐれてしまったのだ。家族に会わなきゃ……そう考えたドリーはニモとマーリンともにカリフォルニアまで旅をする。

 

 おもしろかったです。ピクサーの映像技術がスゴイっスね!  水族館の中や魚の動きがちゃんと観察されてるのがわかります。キッズコーナーでのシーンでは、俺も子どものころやったな、と胸が痛くなりました。

 ちなみに、海洋生物の監修はさかなくんだそうです。あのテレビチャンピオンのさかなくんですよ、スゴくないですか!

 

 ストーリーも泣けるんですよね。ドリーはなんでも忘れちゃうこで、前作はそれでイライラすることが何度もあったんですよ。ですけどね、ですけどね、そんなドリーをお父さん、お母さんがちゃんと愛して、育てあげててさ! ドリーはそんなお父さん、お母さんとはぐれちゃって。でも忘れちゃって!  でも気持ちだけはお母さんとお父さんに会いたくて!  それ観ると、前作であんだけ憎々しく思ってたぶんさ。ごめんね、ドリーもつらかったんだよねってさ。泣いちゃうんだよ! 涙が出ちゃうんだよ!

 

 今回のストーリーのいいところは抑圧と解放ですね。ドリーは忘れっぽいという短所によって、様々な不幸に見舞われます。そこがちょっとストレスたまるんですけど、絵が綺麗だから観れるんですよ。これ、魚だからってのもありますね。人間ドラマだと観るのがつらくなるストーリーだと思います。

 そして、そんな抑圧の後に、ドリーだからこそ思いつくアイデアの数々でいろいろな問題が解決し、カタルシスが得られる。

 これがもう、最高。泣けるんですよ。ドリーはドリーでいいんだと思える。

 

 ここまでいうと、よくあるみんな違ってみんないいって、テーマかと思うかもしれないんですけど、そんな軽いテーマじゃないんですよ。

 ドリーはドリーのままでいいなら、ドリーのお父さん、お母さんもあそこまでドリーの忘れっぽさをなおそうとする必要はないし、そもそもはぐれないわけで。大事なのは、ドリーはドリーのままでしかいられないってことなんですよ。

 

 僕らは同じような学校で同じような授業を受けて、同じような方法で同じことをできるようになろうとします。個性が大事って言いますがね、社会が求めるゴールは12教科5科目が満点取れるやつでそれ以外のやつを努力の足りない落ちこぼれと言います。矛盾じゃないか。僕らは学校で再三、これができないと社会でやってけないと言われますけどね。無視していいですよ、こんなん。この考えを信仰した先がこの前の障がい者にゴールがあると思えない問題ですから。ひとには限界があるし、俺にもキミにも限界というものがあります。

 

 あの時もっと勉強すればよかったとキミはいうけどさ。

 

 その考えは、学校がおしつけた12教科5科目に毒されてんだよ。あんなものでキミのほしい幸せが手に入るはずがない!

 

 冷たいこというようですが、ドリーはドリーにしかならない。彼女は忘れっぽく、それが治ることは物語の最後まで決してない。

 

 だけどやりきるんですよ! ドリーはドリーの考えかたでやり方で覚えかたで! それがいいんです。

 

 シンゴジラもいいけど、できればドリーも観てほしい。ぜひ劇場に行ってみてください。