そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

僕の妹はバケモノですについて

近所の本屋さんにもネット小説のコーナーが増えてきました。たくさんの作品が書店に並び消えていく。そんな大量の本の中から、ぜひとも読んでほしい一冊。ここで紹介します。

 

聞いてください、カクヨム第一回ホラー大賞受賞 鹿角フェフ著 『僕の妹はバケモノです』。

 

さて、気まぐれに書店に出向き、マグレでみつけた紹介すべき本を紹介するこのコーナー。第一回は『僕の妹はバケモノです』。

 

あらすじ(カクヨム引用)

ある朝、彼は誰かに起こされる感覚を覚えた。だが彼は気づいてしまう。微睡みの中、嬉しそうに微笑むのは死んだはずの妹だということを――。その日を境に、暁人の日常は信じがたい恐怖に塗り替えられていく……。

 

死んだ妹が蘇る。これだけ聞くといろいろ思いつくじゃないですか。死んだ妹が蘇ったとして、そいつは本当に妹なのか。その妹が蘇るのになにが代償があるのか。妹と同じ蘇りが別のとこでも起きているのか。

 

最初読んでて。こうなんじゃねぇかなって予想をけっこう裏切って。最後まで読んだ時、こう来たか、上手いなって思いましたよ。

 

この作品ですね。途中、異形が出てきてそれによる恐怖ってのもあるんですが、それが主題じゃないんですよね。あくまでそれは主題を引き立てるための添え物なんですよ。

 

この作品の主題は、そういう醜いバケモノじみた裏側や経緯を経た上でそれでも日常を継続することを選択しちゃう主人公に共感しちゃうのが怖いんですよ。

 

恐怖っていろいろあるんですけど、僕の妹はバケモノです、で感じる恐怖っていわゆる一人の人間が恐怖に染まるのをみて俺もこうなるんじゃないかって考えてしまう。そんな類の恐怖があるんですよ。

 

みなさんはアンフレンデッドって映画観ましたか。すっごい怖いんですよね。

五人の男女がスカイプしてると、謎の6人目が会話に参加する。じつは彼女は自殺した彼らと同じ大学の同級生でって話で。こっから先はネタバレなんで言わないんですけど。あれさ、ずっとスカイプをやるパソコンの画面を映し続けてんだけどさ。友人と話しながらメールでスカイプ中の友人の悪口言ったり、自殺した友達を悼むフリして、自殺のきっかけになった動画を見てたり、そういうこまかい悪意を見てるとネットのなかで悪口を言ってる俺たちってのをまざまざと見せられる感じがしてですね。胸が苦しくなるんですよ。

 

あの時の居心地の悪さがこの作品にもありました。

 

僕の妹はバケモノですはさ。ようはさ、いるはずもない虚構にすがりつく俺たちってのを描いてる作品なんだよ。

 

この作品の蘇った妹ちゃんはさ。序盤からわたしは妹じゃありません。本当の妹は死んでますって言ってるんだよ。そこがさ、新しいなって俺が最初にくらったパンチでさ。その上で主人公が受け入れる変わらない日常ってのがあとあとでボディーに響いてくんだよな。

 

主人公は本来妹を失っていて。蘇った妹に起こされるまではそれを受け入れていた。しかし、仮初めの妹が蘇ったことで失う前の日常を生きるという選択肢を得てしまいそれを選んでしまう。それが作品全体の恐怖の要なんですよ。

 

失えたはずのものを失わないままにする。これ、ぼくらけっこうやってますよ。まず、アニメやライトノベル。

 

ぼくらは学校時代に選べたはずの日常、得られたはずの青春に少し心を痛めてしまう時がある。アニメの主人公に学生が多いのはそんな青春を一時でも取り戻したい。そんな気持ちがあるから。

 

僕らは会社の仕事がつらいとき。こう思う。もっと環境が違えば。そういって異世界に行ってみる。

 

サブカルだけだと思うだろ。お前だって例外じゃねぇぞ。

 

東日本大震災とかさ。原発とかさ。景気の悪化とかさ。たぶん現在進行中で失ってたり、変わっちゃったりしてるものがたくさんある。だってのに、俺らってやつは変えるべきものを何も変えずに続くはずのない失われていたはずの日常を継続中だ。

 

僕の妹はバケモノですはさ。その失ったはずなのに失ってない状態続けている俺らを一発ツッコンでる話なんですよ。

 

気になる人は読んでくれよな!

 

web版

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154929290

 

 

 

 

平和の象徴、艦娘に襲いかかる怨念 劇場版艦隊これくしょん

昨日、劇場版艦これを観ました。

 

ネタバレあるよ!

 

あらすじ

吹雪たちは任務のため、ある海域にいると突然謎の声を聴く。皆が不安がるなかなぜか落ちついた様子を見せる吹雪。声の中心からは赤い水が広がり、それが艦娘たちの艦装を傷つけた。そんな中、一人の艦娘が救助されるそれは死んだはずの如月であった。

 

想像してたよりよかったので俺は好きですよ。

 

まず艦これをやってて観たかった部分が見れたことがよかったです。

 

偵察中、艦娘の肩や頭に乗って双眼鏡で辺りを見渡し、敵を発見すると艦娘に耳打ちする妖精さん。肩のライトを照らしたり、刀で弾をはじいて、敵に近づき腰の魚雷を放つ艦娘。キャラの情報が立ち絵と声だけじゃわからなかった。こいつらどうやって戦ってんだっていうディティールが劇場版でようやくわかった。そこがいい。

 

テレビ版でやるべきだったんですけどね!

 

しかも、敵に攻撃されるとはだけるだけじゃなく。ちゃんとひたいから血が出て、フラフラになりながらも敵と戦わなければいけない。戦闘に緊張感が出てました。

 

テレビ版だとやたらと被弾してゲームのセリフを見ながらイヤーンって感じでですね。シリアスしたいのかギャグやりたいのかわかんない状態だったけどね!

 

これができるなら最初からやれよ。その通りですよ!

 

しかも、このスゲェと思った戦闘シーンは合計で30分も行かなくて残りは会話シーンです。しかもそこは座ったり。立ったまま動いちゃいけないシチュエーションでうまくキャラが動かなくても不自然ではないシーンを選んでるんですね。

 

テレビ版と比べると棒立ちがないように見えるのはその辺の手抜きが上手くなったからでしょう。

 

その辺も踏まえて、あえて俺は艦隊これくしょんを評価したい。描きたいテーマってのが個人的にはいいと思ったからだ。

 

こっからネタバレ全開で行くぞ。

 

今回、メインとなる話が如月の復活と深海戦艦の正体、声の正体と吹雪との関係です。

 

じつは生きていた如月。だが様子がおかしい。それもそのはず、彼女はじつは徐々に深海戦艦に変貌しようとしていたのです。ここで加賀の口から明らかになる事実。じつは深海戦艦が轟沈すると艦娘になり、艦娘が轟沈すると深海戦艦になる。如月を助けるには深海戦艦になった彼女を轟沈させなければいけない。

 

ゲームやってて、みんな気になってたテーマだからこれやってくれたのはうれしいですね。しかも如月が深海戦艦化に恐怖する場面はエグくて最高ですよ。

 

戦闘時、異質だと思っていたものがじつは同じだった。これはベタだけど。すべての争いの本質なんですね。この人は他と違う。そう考えるから争いが起きるわけだけど。結局はどちらもヒトであり、環境と育ちで違うようにしか見えないってわけです。

 

深海戦艦と艦娘は同じである。自分たちの戦いはなんなのか迷いながら、彼女たちは赤い水面の中心に向かう。仲間たちが足止めを食らう中、吹雪だけがその中心にたどりつくと、そこにいたのは深海戦艦に姿を変えたもう一人の吹雪だった。

 

じつは劇場版の舞台は吹雪が沈んだ海域らしくってですね。そこは不勉強だから俺もよく知らないんですが。話によると、吹雪という戦艦はここでなんの活躍もできずに沈んでしまう。その時のこんな終わりは嫌だという心残り、陸に帰りたいという想いが吹雪という艦娘を生み、負の部分のもう一人の艦娘を深海に残した。それが赤い水面の中心の声の正体だった。もう一人の吹雪は艦娘の吹雪を恨んでいる。過去を忘れ、幸せな少女として本来沈むはずだった運命の戦艦たちを次々と助ける彼女を恨んでいた。だから彼女は水面を赤く染め、彼女を呼び戻したわけです。

 

つまりこの話は、戦争という負の側面を見ずに艦娘なんて萌えキャラをつくりあげるDMMのやり口を批判する怨霊の話なんですよ。

俺らは青葉を写真を撮る女の子に変えたり、電をドジっ子にしちゃったりしてるわけだけど、戦争をそんなふうにチャかしやがって許せん、みたいなツッコミがあるわけだ。

 

実際、テレビ版の一番の失敗は戦争の重さを中途半端に引き受けようとしながら、チョイエロコメディをやろうとしたのがダメで。このツッコミはもっともな話なんだよ。

だからその反省を含めた上のアンサーとして、今回の話は全体的に暗い場面を映しながら、もう一人の吹雪との綺麗な彼岸花のなかで抱き合うラストを描いている。

 

この辺は戦争の負の側面を重さを受け入れた上で艦娘を描くっていう製作者の宣言に俺は思う。

 

だから俺は応援してるし、アニメでガッカリしたみんなにも劇場版を見てほしいと思う。

 

この世界の片隅について ネタバレあるぞ!

この世界の片隅に、を観ました。

 

ネタバレありです。

 

この作品は、絵が得意な少女のすずさんの視点で語られる戦中の日本の人々の暮らしと彼女の成長を描いた物語です。

資金はクラウドファウンティング。すずさんの声優にはあまちゃんの主演であり、事務所との対立により仕事を干されていたのんさんが起用されています。

 

観ていて、ここまで心を動かされ続けて呆然とする映画ははじめてでした。

 

とにかくキャラの動かし方。街の描き方が上手い。すずさんって人が本当にいるように感じるんですよね。

 

だからこそ、キャラに感情移入をしてしまう。そうしたリアルを意識した上でこの映画には彼女の主観もしっかり描いている。

 

たとえば、すずさんがはじめて空襲を受けた時。彼女はここに絵の具があればな、って言ってて。そうすると飛ぶ戦闘機とすずさんが絵の具で描いた場合の戦闘機が交互に映り、爆発もカラフルになる。そういった主観とリアルが入り混じった表現を要所要所にいれながら彼女の成長を描いています。

 

なんで彼女があの時、空襲を綺麗だと思えるかと言うと。彼女は絵を描く才能と感性があるからなんですね。

 

俺らもそういうとこあるじゃないですか。なにかつらいことがあったとして、それを小説だったらどう描けるか。漫画だとどう描けるか。Twitterでなんで話すか。このようにつらいことに対してべつのフィルターを通すことでそれをつらくなくす。べつの意味合いに変えてしまう。

 

前半にこの世界の片隅ににあるのんびりしててクスっと笑える世界観はすずさんの絵を描くフィルターによって支えられているんです。

 

それが同じ小説書きの俺にはわかるから観てて不安だし、胸が詰まりそうになるんですよ。彼女がこのまま成長したらダメなんじゃないか。このままだととんでもないことが起きるんじゃないかって。

 

べつに悪いことでもないんですよ。現に彼女がそうしたフィルターを持っていたからこそ、海が嫌いだった水原くんはすずさんの絵のおかげで海が好きになるし。屋根裏に住んでいた白木リンさんにスイカと着物をあげることができた。

 

でも、ハルミさんは助けられなかったじゃないですか。

 

べつにすずさんが悪いって言いたいわけじゃないです。でも、彼女はなまじ他の人とは違う感性があったもんだからなにかに気づく時。自分のフィルターを通してからじゃないと動くことができなかったんです。時限爆弾だって通りかかった軍人さんに注意されたのに。彼女は授業を受けた時のことを思い出してからじゃないと動けなかった。

 

そして、彼女はハルミさんと自分の右腕を時限爆弾で失っちゃうんですよね。ここ、観ててキツイですよ。怒っていいのか。泣いていいのかわからない。〇年〇月〇〇した右手と繰り返しつぶやくのんさんの独白と共に崩れていく家。左手では彼女の描く絵は歪になることを表現することで彼女のフィルターがなくなってしまうことを表現するシーンに俺はムカッともするし、やるせない気持ちにもなる。

 

右手をなくすことで、後半、彼女はフィルターがない状態で戦争に向き合わなければいけなくなる。その証拠に、右手がなくなった後の空襲では前はカラフルだった爆発がただの白い煙になってるんですよね。

 

この辺、シンゴジラのテーマに通じるとこがあります。

 

シンゴジラ、広告で虚構対現実って書いてあるじゃないですか。あれって、いわゆる原発安全神話とか、今の日常がこれからも続くっていう、僕らがぼんやりと考えていた信仰がある日、震災によって破壊される。つまり、シンゴジラという虚構の存在が現れるまでもなく、僕らは虚構で守られていて、その虚構を虚構であるゴジラが破壊し、そのうえで立ち上がった僕らは現実と戦わなければいけない。そういったスクラップアンドビルドがテーマの作品なんです。

 

そして、この世界の片隅にでも、時限爆弾によって、すずさんは虚構を破壊され、現実と戦うことになるわけです。

 

そこで印象的なのは、家に爆弾が落ちた時ですね。すずさんは逃げる途中、自分の家に爆弾が落ちるのを発見する。その時、スゲェ長いことそれをみつめて。意を決してすずさんは叫びながら消火するんですよね。

後でモブさんがあのまま防空壕に逃げてたら、家が焼けてたって言ってるんですけどね。もし、右手があったら、すずさんは習っていた通りに防空壕に逃げて。家を燃やしてたと思うんです。この時から、彼女は自分で考えて行動しはじめているんですよ。

 

他にも、すずさんはあの後、アメリカが空から配ったビラをトイレの紙にしているんですけど。そこも家を守るために彼女が自分の考えで行動するのを表しています。

 

その辺の彼女の心の動きを語るうえで、俺がロックだなと思うのが広島の原爆シーン。

 

すずさんさ。その時、ケイコさんと話しててさ。ある瞬間でやっぱり呉にいますって考え変えるじゃないですか。あの瞬間が何かと言えば原爆が落とされたことで、彼女のいる土地まで原爆による光が届くシーン。絶句しましたよ。そこと彼女の決意が重なっちゃうんだって。

 

あそこはかなり不謹慎だと思いますよ。 自分の故郷が破壊される瞬間に自分は呉にいるんだっで決意するわけですから。

 

戦争を通して、一人の女性の成長をかなり危ういラインで書いちゃってるんですよね。

 

こうして、どんどん強くなり、成長していく彼女なんですけど。ある日、避けようがない真実に直面する。

 

それが戦争が終結するシーン。

 

彼女はラジオで天皇の言葉を聞いて。戦争が終わったことを知るんですけどね。彼女ったら、まだ戦えるここに五人もいるし、左手と両足があるじゃないかって言って、外飛び出すんですよ。すると、なぜかある民家から朝鮮?の旗が出てくる。それを見て彼女はウチらは他の国からの米や麦でできてるのか。だから暴力に屈するのかって叫び、こんなこと知りたくなかった、のほほんとした自分のまま死にたかったって泣くんですよ。

 

俺、観た時何言ってんだこの女って思ってたんですけどね。どうも違うらしいんですよ。

 

これは岡田斗司夫ゼミという。アニメ会社ガイナックスを設立して、今はアニメ業界引退してる元社長さんがやってるニコ生で出てた話なんですけどね。

 

なんでもあのシーンでは、日本が負けたことで失意に沈む中、自分たちの敗北を喜び旗を挙げる人たちがいる。それは自分たちが暴力で虐げた人たちでだからこそ、自分たちも同じ暴力に屈するのか。そんな事実を知らんまま死にたかったって意味らしいんですよ。

 

俺もこの辺は不勉強なもんだから、下手なことは言いたくないんですけどね。ここでようやく彼女のフィルターが全部外れるんですね。

 

散々っぱら、俺も彼女の絵描きとして現実を認識するフィルターを批判してきたんですけどね。虚構に包まれているのはなにも俺らだけじゃないんですよ。だれもが映像のなかにちゃんと写っているし、視界にも入っているのに認識していないことがあるんですよ。現にすずさんの発言も突然言いだしたようで、じつは闇市の時点で台湾米を売ってる商人の話がちょっと出てて。加害者側の日本の部分もちゃんと描いているんですよ。

 

その辺の右葉曲折があって、彼女は一人の戦争孤児を助けるんですよね。ここに傷つきながらも成長したすずさんのすべてがつまっていると思いますよ。一度目はへぇこうなるか、よかった〜って安心したんですけどね。二度目は泣きそうになった。

 

とにかく、観てないやつは絶対観ろよな!

 

 

 

私がモテてどうすんだについて

 テレビには、今期も新たなアニメが生れている。

 だれがアニメをみはるのか。だれがアニメをウォッチするのか。

 にわかアニオタ、神島竜が今立ちあがる。

 惰性の習慣アニメブログ。つまりこういうことがいいたかった。

 

 さて、週間ではありませんが習慣でみるアニメをおもいつきでおもいっきり評価するこのブログ。今回紹介するアニメはこのアニメ、『私がモテてどうすんだ』

 

あらすじ

芹沼花依(せりぬまかえ)は太っていて中身は優しい腐女子であった。ある日、彼女は自分の好きなアニメの推しキャラシオンの死のショックで塞ぎ込んでしまう。それから一週間後、学校に戻ってくると周囲は驚愕する。なんと花依はシオンの死のショックで痩せてしまい、美少女になったのだ。痩せた花依にクラスメイトの男子の反応もいつもと違っていて……

 

この作品の魅力は主人公の花依です。この作品、漫画だと彼女の恋よりもオタクな自分が好き、BLが大好きってキャラを立たせるのに1巻使ってて、3巻でようやく周囲の男子のキャラを立てています。さらに大事なのは周囲のキャラも彼女のオタクな面を好きになっているって点ですね。

 

だからこそ、ヒロインも周囲の男子も好きになれる。

 

アニメだと、声優効果でキャラが立ってるからか。3巻4巻あたりの男子が芹沼の内面を好きになる話を意図的に後回しにしているようです。ですので、漫画のほうもぜひチェックしてみてください。

 

ニコニコチャンネル

私がモテてどうすんだ

http://sp.ch.nicovideo.jp/watamote_anime

 

ヒナまつりについて

この前、ヒナまつりを最新刊11巻まで読破しました。

 

ヒナまつり

https://www.amazon.co.jp/dp/B00C40EU46/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

あらすじ

ある日、ヤクザの新田の家になぞの球体が出現。その球体から、一人の少女が現れる。彼女の名はヒナ。新田は追い出そうとするも、ヒナは超能力を使い部屋のものを壊そうとする。しかたなく、新田はヒナを娘として住まわせ、二人の奇妙な暮らしがはじまる。

 

あらすじだけみると、ふつうの話っぽいじゃないですか。違うんですよ。読んでるとですね。じわ〜っと面白いんですよ。

 

この漫画は基本1話完結のギャグ話の連続です。スゴイのは、この1話完結のギャグがちゃんと積み重なってキャラの成長、変化につながってるんですよ。

 

前の話のエピソードをちゃんと引き継いだ上で次の話をやるってのがうまいんですよね。

 

 オススメなんで、ぜひ読んでみてください。

 

新連載、CICADAが面白い。

今月、初めてスピリッツを買いました。

 

目的は今月からはじまる新連載。

山田玲司先生の最新作、「CICADA」です。

 

山田玲司先生とはっ!?

漫画家、ゼブーラマン、Bバージン、NG、アガペーズ、絶望に効く薬、アリエネなどを発表。現在、ニコニコ生放送で山田玲司のヤングサンデーを放送しながら、月刊スピリッツで「CICADA」の連載をはじめる。

 

玲司先生のことは岡田斗司夫ゼミの対談で知ったんですよ。そっから、ヤングサンデーを見て、アリエネ特集の前あたりからちょくちょく先生の作品を買い集めたんですよ。

 

 好きな作品はNGですね。

 

NGとはっ!?

伝説のジゴロを父にもつ男、芥川魂輝は憧れの女性、朝水灯と結ばれるために父が残したジゴロテクニックを書き記したアムリタ教典を開く。

 

この作品が一番好きですね。

 

 主人公が読むアムリタ教典には、女性の苦しみを解くためのテクニックが書かれているんですけど。この漫画はですね。女性だけでなく男性の苦しみもちゃんとクローズアップされてるんですよね。

 

これはまた今度書きます。

 

玲司先生は女性の悩みや心理も描けるんですけど。男の本音や心の叫びみたいなものを描くのがスゴイ得意なんですよ。

 

今回の「CICADA」の1話の主人公の男の子の鬱屈さも最高でした。

 

最初の3ページからスゲェんですよ。

 

「だから俺は貧乏ですぐ折れる、クズ野郎なんだよっ!!」

って叫んでてさ。たぶん主人公なんだよな。涙目でさ。いい表情してんだよ。必死に叫んでるようなさ。心に届くような表情がさ。原作者つきの漫画の絵で読めるなんて僕、思ってもみなかった。

 

だってさ。俺、原作、作画と言えばさ。デスノートやバクマン、めだかボックスとかだけどさ。絵が綺麗でも、人形で笑ってるみたいになるんだよね。だけど、これスゴイね。なかなか原作と作画分かれてて、キャラの表情がいいとか俺、あんま知らないよ!

 

でさ、この後の流れが好き。

 

「でもプライドだけはでかすぎるし何の取り柄もないし、

 君にふさわしい男なんかじゃないし……」

 

顔のアップから一転して街中を車で逃げるシーンでさ。逃げてるなってわかったと同時に、さっきは叫んでたのに急に弱々しい声で早口で自信なさそうに喋ってんだろうなと思いましたよ。でっ、「結局僕らの時代は真っ暗で、きっとくだらない大人になって、適当に死んでゆく」って言葉が目に入って。

 

わかるわ、って思いながらさ。次のセリフですよ。

 

「ねえ、レム……それって」

「「それでも好き」って……言って欲しいの?」

 

主人公の目が見開いて。俺もなんか急に心臓を鷲掴みにされたような気分になりましたよ。なんも悪いことしてないのに俺も図星を突かれたような気分になったよ。

 

次のページでにこっと笑ってさ。この笑うってのも完全な笑顔じゃなくて口角が微妙にあがってる。死ぬ直前の安らかな笑顔みたいな感じでさ。

 

言うんだよな。

 

「全部好きよ」

 

 次のコマで歯ァ食いしばった主人公。

 

「だめだ。」

 

ああ、だめだよ!女の子にこんなセリフ言わせる主人公がだめだし。弱音吐いてちゃだめだし。この娘、今にも死にそうじゃんか〜! もうどうすんだよ主人公!

 

俺の心が持ってかれそうになったよ。かれそうになったっていうのはな。そうやって漫画の女の子に3Pで俺なんだがな。それでもホットになれきれずに冷静に分析してやろうと考えるクールなもう一人の俺が言うんだよ。

 

「こんな女、現実にはいねーし」

 

スゲェぞ、この作者。俺の、俺だけが考えていたとおもいこんでいた心のなかのつぶやきをな、伏線にしやがったんだぞ!

 

 どういうことか気になったんなら読め!読めばわかるから。みんなも今月のスピリッツは読もう!

 

 

 

 

 

 

 

ファイティングドリーを観ました

ファイティングドリーを観ました。

 

あらすじ

前作、ニモを探しにマーリンとともに旅をしたドリーは、激流に巻き込まれたことをきっかけにドリーの父と母のことを思い出す。ドリーは小さな時に家族とはぐれてしまったのだ。家族に会わなきゃ……そう考えたドリーはニモとマーリンともにカリフォルニアまで旅をする。

 

 おもしろかったです。ピクサーの映像技術がスゴイっスね!  水族館の中や魚の動きがちゃんと観察されてるのがわかります。キッズコーナーでのシーンでは、俺も子どものころやったな、と胸が痛くなりました。

 ちなみに、海洋生物の監修はさかなくんだそうです。あのテレビチャンピオンのさかなくんですよ、スゴくないですか!

 

 ストーリーも泣けるんですよね。ドリーはなんでも忘れちゃうこで、前作はそれでイライラすることが何度もあったんですよ。ですけどね、ですけどね、そんなドリーをお父さん、お母さんがちゃんと愛して、育てあげててさ! ドリーはそんなお父さん、お母さんとはぐれちゃって。でも忘れちゃって!  でも気持ちだけはお母さんとお父さんに会いたくて!  それ観ると、前作であんだけ憎々しく思ってたぶんさ。ごめんね、ドリーもつらかったんだよねってさ。泣いちゃうんだよ! 涙が出ちゃうんだよ!

 

 今回のストーリーのいいところは抑圧と解放ですね。ドリーは忘れっぽいという短所によって、様々な不幸に見舞われます。そこがちょっとストレスたまるんですけど、絵が綺麗だから観れるんですよ。これ、魚だからってのもありますね。人間ドラマだと観るのがつらくなるストーリーだと思います。

 そして、そんな抑圧の後に、ドリーだからこそ思いつくアイデアの数々でいろいろな問題が解決し、カタルシスが得られる。

 これがもう、最高。泣けるんですよ。ドリーはドリーでいいんだと思える。

 

 ここまでいうと、よくあるみんな違ってみんないいって、テーマかと思うかもしれないんですけど、そんな軽いテーマじゃないんですよ。

 ドリーはドリーのままでいいなら、ドリーのお父さん、お母さんもあそこまでドリーの忘れっぽさをなおそうとする必要はないし、そもそもはぐれないわけで。大事なのは、ドリーはドリーのままでしかいられないってことなんですよ。

 

 僕らは同じような学校で同じような授業を受けて、同じような方法で同じことをできるようになろうとします。個性が大事って言いますがね、社会が求めるゴールは12教科5科目が満点取れるやつでそれ以外のやつを努力の足りない落ちこぼれと言います。矛盾じゃないか。僕らは学校で再三、これができないと社会でやってけないと言われますけどね。無視していいですよ、こんなん。この考えを信仰した先がこの前の障がい者にゴールがあると思えない問題ですから。ひとには限界があるし、俺にもキミにも限界というものがあります。

 

 あの時もっと勉強すればよかったとキミはいうけどさ。

 

 その考えは、学校がおしつけた12教科5科目に毒されてんだよ。あんなものでキミのほしい幸せが手に入るはずがない!

 

 冷たいこというようですが、ドリーはドリーにしかならない。彼女は忘れっぽく、それが治ることは物語の最後まで決してない。

 

 だけどやりきるんですよ! ドリーはドリーの考えかたでやり方で覚えかたで! それがいいんです。

 

 シンゴジラもいいけど、できればドリーも観てほしい。ぜひ劇場に行ってみてください。

 

メガマインドを観ました

 メガマインドを観ました。

 
※ネタバレ注意
 
【あらすじ】
 大悪党メガマインドはひょんなことから偶然、宿敵であるメトロマンを倒してしまい、街を支配する。彼は最初は喜ぶも、しだいに戦う相手のいない日々に虚しさを感じていた。悲嘆にくれていたある日、ロクサーヌの一言でメトロマンに変わる新しいヒーローを自分の手で作り上げようと考える。
 
 あえて悪役の視点で描くというメタ的な要素を持ったヒーローものです。しかし、設定はメタでありながらも王道のストーリーラインに乗っかって動いています。
 
 この話はいわば学校で上手くいかず非リアであった男がヒロインの出会いをきっかけに自分に自信を持ち変わっていく、僕らが好きなラノベのような話です。
 
 それがわかるのが序盤の主人公であるメガマインドとメトロマン少年期のエピソードです。
 
 二人はどちらもどこかの星から地球へと飛ばされてきました。
 
 メトロマンはお金持ちの夫婦の家に落ち、メガマインドは刑務所に落ちる。メガマインドはなんとかメトロマンと同じ学校に通わせてもらうも、メガマインドはみんなから仲間ハズレにされ、メトロマンはクラスの中心になる。見返そうと頑張るも、すべてが裏目に出て、褒められるのはいつもメトロマンだけ。宿敵のメトロマンと対比させる形で二人の環境の違いを書いているのが上手い。
 
 こういう過去があるからメガマインドは悪役になってしまい、メトロマンと対立するようになる。
 
 面白いのがこの先のメトロマンの死の真相。じつはメトロマンは死んでいなくて、彼はヒーローという重荷から解放されたくて死を偽装してたんですね。ここのいいところは生きていたメトロマンがメガマインドと共闘する仲間ではなく、彼を教え導く役目を担っていることです。メトロマンはメガマインドに自分のやりたいことはなにかわかってるか、みたいなことを言ってました。
 
 メガマインドは何をやっても悪役になってしまう。みんなから悪役にされてしまうキャラだったのですが、それはメトロマンも同じなんですよ。彼もヒーローという役目を押しつけられ、それ以外になることが許されなかった。
 
 この映画のテーマはいわば運命は自分の手で掴むもの、という至って単純な話です。
 
 それを環境によって悪になったメガマインドがヒロインの出会いをきっかけに優しさを持ち始め、最終的に自分が生み出した悪を倒してヒーローとなる。そんな話です。
 
 ただ、自分で起こした問題を自分で解決しただけなのになんでみんなこいつをヒーロー扱いしてんの?っとはおもわないではないんですけどね。
 
 そこんとこはスターウォーズも、シュガーラッシュもみんな身から出た錆びを拭っただけなのに褒められる話と言えなくもないんですよね。
 
 アメリカのお国がらなのかな。
 
 とりあえず、ヒーローものが好きな人にはオススメの一作です。
 
 
 
 

コードネームUNCLEを観ました

 

 コードネームUNCLEを観ました。

 
あらすじ
 アタシ、ギャビー!ちょっとヤンチャなふつうの整備士! ある日、職場にイケメンのCIAがやって来て……えっ! お父さまが叔父さまに捕まってるですって! しかも、お父さまの研究のせいでこのままだと世界が核の炎に包まれちゃう! そんな驚きの事実の途中で乱入するイジワルなKGBのイケメン! アタシをさらうですって! もう、なんてタイミング悪いの!  逃げ切ったアタシはCIAの要請で叔父さまの家に向かうことに……向った先にはなんとあのイジワルなKGBが! お前はオレの女!? しかも、叔父さまの目を欺くために婚約者の振りをするですって! CIAとKGB、二人のイケメンに挟まれちゃって……もう、どうなっちゃうの!
 
 はじめの20分、てっきりこんな話やっちゃうのかと思いました。
 
 実際は、もっと王道のバディスパイもの。カッコイイアクションシーンと笑えるコメディを交互に挟みながら最後まで楽しませてくれるハンバーガーのようにバランスのいい映画です。
 キャラの魅せ方がいいですね。ナポレオン・ソロとイリヤ・クリヤキンのプロフィールは聞いているだけで中二心をくすぐられてカッコイイです。 
 敵のアジトに侵入するシーンでは、片方が手こずる障害にもう片方がドヤ顔でクリアするのをやることで二人が何が得意で何が苦手なのか、またそれをどう補っているのかがわかってよかった。
 
 後、最初のOPでアメリカとソ連の歴史をオシャレにわかりやすく流したのもGood。
 おかげで二つの国の関係性がいまいちわかっていない俺にも、この二国のスパイがバディを組んだことが奇跡のコラボ感なんだぜってことが伝わりました。
 
 キャラの魅せ方はホント良かったんですよ。魅せ方は。
 
 ただ、展開がちょっと雑じゃないですか? 悪役がマヌケすぎる気がするんですよね。殴るなよって言われてるのに殴っててバレてないとかさ。悪役の奥さんの最期もあんな安い挑発に乗っちゃうんだって正直言って思わない?
 
 後さ、ヒロインをもっと活躍させようよ。
 彼女に隠された秘密がさ、とってつけた感があるんだよ。もっとさ、秘密を明かした後はさ、守られてるだけの子かと思ったらこんなに強いみたいなの欲しかった。一応、ドライバーでしょ? カーアクションとかさせようよ。
 
 EDの演出でさ。主人公たちのプロフィールが音楽と共に流れる演出あったけどさ。あそこ、イリヤとソロと2でもっと活躍するであろう上司のプロフィールは細かく決まっててカッコイイのにさ。ヒロインのギャビーだけ、整備士、ドライバー、ロシア語を勉強中ってなんだよ!
 
 これさあ、仕事は整備士で〜、最近、彼氏の影響でロシア語を勉強してま〜す。キャッ! ってことでしょ! 飲み会でノロけるOLか!
 
 ってことで! 途中途中いいシーンもあったんだけど、総合的には星二つ! もっと頑張りましょうだ! 気になった人は見てみてね!
 
 
 
 
 

俺らもリア充もリア獣も出る! ジュラシックワールドを観たよ!

 夏の映画、何を観ましたか?

 

 今年は面白い映画が豊作でしたね。

 

 『インサイドヘッド』『バケモノの子』『進撃の巨人』『HEROS』

 

 有名な監督、スタジオ、原作、ドラマ。公開されれば必ず観る人が出るであろうビックタイトルばかりです。

 

 そんな彼らが公開日をズラして、正面から戦うのを避けてきた作品がある。それが『ジュラシックワールド』です。

 

 誰もが心を揺さぶられる映画でした。

 

 とにかく、シーンがスゴイ!

 

 20年の沈黙を経てついに完成したジュラシックワールド。

 広大な大自然のなかで動く恐竜。それが間近で見られる。

 ふれあい広場では子供が草食恐竜に乗り、フードコートには世界中のレストランが。

 

 まさに、夢の遊園地なんですよ。

 

 そんな遊園地のなかでですねスゴイつまらなそうにしている憎たらしいガキが出てくるんですよ。その名はザック・ミッチェル。映画の中で主役ともいえる二人の兄弟の兄の方です。

  

 ジュラシックワールドの前半の見所はあのつまんなそうにしているザックです。

 

 たとえばさ! 兄弟がはじめてジュラシックワールドに着いた時。弟のグレイは恐竜が好きだから目をキラキラさせてウンチクを語りながら、これからのことを楽しみにしているんだよ。

 一方、兄のヤツがさ。つまんなそうな顔をして生返事をしながら島とは別の方向を見ているんだよ。何を見てんのかな、と思った次の瞬間に二人組の美女のシーンがドアップで映る。

 

 そう、こいつはさ。ついに開園した。俺たちが観たくてずっと待っていたジュラシックワールドを前にして、女の方に目がいってんだよ。

 

 このやりとり、数えてないけど3回くらいあったよ。弟が恐竜見ている時に、女に目が行く兄の図がさ!

 

 思い返すとさ。冒頭の時点でコイツはいけすかないヤツだったんだよ。冒頭でジュラシックワールド行くために、車に乗るぞってシーンがあってさ。弟が楽しそうに荷物を積み込んでいる時にさ。この兄はさ。車の前で女と抱き合ってさみしくなるわ、なあにすぐ戻ってくるさ、みたいなやりとりをやってんだよ。

 

 そんで車の中でつまんなそうな顔をすんだよ。

 

 こういうヤツをさ、じつは俺たちは映画を観る前に何度も見ているんだ。もしかしたら、君の隣にもいたかもしてない。

 

 そう、コイツはね。彼女を連れて話題の映画を観に来たリア充にそっくりなんだよ。

 

 映画館には、二種類の人間がいます。一人は恐竜が観たくて、あるいは面白い映画が観たくて来た俺らのような人間。もう一人は彼女づれのリア充。

 この俺らの代表がグレイで、リア充の代表がザックです。

 そう考えると、冒頭のシーンも意味があるんです。あの恐竜を見るのが楽しみで仕方のないグレイと、車の前で彼女との別れを惜しんでいちゃつくザック。あれは映画を観る前の俺らと彼らです。

 

 映画ってのは、女と来たって意味がないんです。あんな暗いところになんで二人で来るんです。物語の世界に入ってしまえば、結局一人になっちゃうんですよ。すくなくとも映画が始まっている間は。

 

 ザックが冒頭で彼女に言う「たったの二週間さ」ってセリフの意味はさ。つまるところ、映画なんてたったの二時間さって意味なんだよ。

 

 デートの雰囲気を盛り上げるために話題の映画を観に来たけど、恐竜なんて興味ないしな。でも、たったの二時間だ。その後でラブホにでも行ってよっこらしようってアイツらは考えて映画館に来てんだよ!

 

 その辺を踏まえた上で俺の好きなシーンがモササウロス初登場のシーン。

 水族館のイルカショーみたいなところで、モササウロスのショーを観に来たグレイとザック。グレイは期待した様子でこれから出てくるモササウロスにワクワクし。ザックはスマホでやっぱり彼女の写真をみてにやにやしてやがる。

そんななかで、クレーンで吊らされたサメの死体がモササウロスがいるであろうプールの上に垂らされる。モササウロスを水中から出すためのえさですね。

 

ザバァンと音を立てて出てくる巨大な水龍。作中で一番大きい恐竜らしいですよ。弟もキラキラした目で喜ぶし。兄もスマホから目を離して笑顔になって、スゴイね、て弟を顔を見合わせるんですよ。

 

 監督もわかってたんですね。どんな理由で映画館に来たとしても、このシーンを観れば誰もがこの映画から目を離せなくなるって。

 

 あの後から、確実に弟より兄のほうが積極的にジュラシックワールドを楽しもうと行動しているシーンが増えます。この辺の流れは子供の付き添いでディズニーランドに来たお父さんをみているかのようですよ。

 

 こっから、インドミナスが出て、主役のオーウェンが活躍しだして、とどんどん面白くなるわけですが。そこはぜひ映画を見ていただきたい。まだ映画が始まってから三〇分しかたっていませんから、こっからが面白いんです。

 

 ぜひ、ウォッチしてください!

 

 

なんちゅうもんみせんだ! がっこうぐらしに気をつけろ(ネタバレあり)

 テレビには、今期も新たなアニメが生れている。

 だれがアニメをみはるのか。だれがアニメをウォッチするのか。

 にわかアニオタ、神島竜が今立ちあがる。

 惰性の習慣アニメブログ。つまりこういうことがいいたかった。

 

 さて、週間ではありませんが習慣でみるアニメをおもいつきでおもいっきり評価するこのブログ。今回紹介するアニメはこのアニメ、『がっこうぐらし』

 

 一週間でネットを震撼させた恐怖の日常アニメ『がっこうぐらし』。学校でサバイバル生活を送る部活「学園生活部」に所属するゆき、くるみ、りーさん、みーくんの4人のかわいくてたのしいがっこうぐらしをゆるりとお送りする日常アニメ……だと思っていた時期が僕にもありました。

 アニメ1話 ↓ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかぁし! その正体はゾンビがはびこる世界で学園に立てこもらざるおえない、がっこうぐらしせざるおえない日常を描いた恐怖のアニメなのだ。

 ちくしょう! だまされた! と思った方が何億人いたことでしょう!

 原作読んだ人とか、ニトロプラスを知ってる人とか、ゾンビ映画に耐性がある人は置いといて、やっぱだまされませんかこれ!

 俺はだまされたよ! なんちゅうもんみせんだと頭を抱えましたよ!

 

 「なんだかがっこうがたのしい!」とか典型的な楽観主義者の主人公が日常の学園生活を語りながら、「なかでもわたしがすきなのは……」と言って学園生活部の看板を見せる。そこで可愛さ満点のOPがドーン! と来てからのわいわいがやがやの食事シーン。さらに逃げ出した犬を追いかけがっこうをバタバタ。やっと犬をみつけてもうにげちゃダメだよ、とオチがついたと思ったら。最後の最後で忘れ物したとかで主人公が教室に戻ってさ。犬耳が似合いそうなかわいい後輩系女子が心配だと主人公のとこにいったらさ。視点が後輩の視点に変わって、映し出された映像が荒廃した教室で、一人でトークする主人公。そして、外に映し出されたのがゾンビ。

 

 絶望的な状況のなかで、「あっ、窓があいてる(`・ω・´)」

 近づいて窓を閉める主人公、ゾンビを見降ろして「これでよし( ^ω^) 」

 

 怖ぇぇよ! 

 

 窓がボロボロで意味ないじゃん、とか。近づいたらさすがに見えるだろ、とか。

 いろいろつっこみどころがあるけれど、とにかく怖ぇぇよ!

 

 そんなこんなで、日常アニメを期待した俺らのハートをぶち壊してくれたアニメなわけなのですが、ひとによってはだからなに? と思う方もいるでしょう。

 

 そんなやりかた一発ネタじゃないの? 1話以降が面白くなるのって?

 

 あえてみなさんに宣言したい。

 YESだと! 確実にこのアニメは今期最高のアニメになることを保障しましょう!

 

 自由奔放で前向きなゆきと、マジメな後輩系女子みーくんの二人を出して、これは日常ものだよ、と押し出した時点でこの作品は勝っているのです。

 

 この組み合わせは、けいおんの唯とあずにゃんの組み合わせと同じです。

 がっこうぐらしは、この二人を主人公にしたダブルヒロインの話になるでしょう。

 こっから先は原作の話もちょっと含むので注意してください。

 

原作のネタばれ注意↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みーくん、直樹美紀は2年生の女の子。じつは学校の外で一人、ゾンビから逃げながら生きていたところを主人公たちに保護される、後からはいってくるキャラクターです。このすでにできているコミュニティに後からはいってきたというのが大事なんです。

 

 入部したばかりの後輩である彼女は、主人公の学園生活部を奇異に感じる読者の視点に近い存在です。

 

 これはあずにゃんにも言えることで、あずにゃんも外から新しくコミュニティにはいる後輩です。だから彼女は放課後にティータイムを楽しむ先輩にマジメにやってくださいと言います。

 

 僕たちは学校や会社などの空間のなかにある一定の人数でできたコミュニティを形成します。そのコミュニティは時間がたてば、かならず他のコミュニティと違う部分ができ、ガラバコス化します。

 

 あずにゃんとみーくんのような後輩キャラの役割は、そのコミュニティのガラバコス化した部分に対してのツッコミです。外の世界とコミュニティにできているルールの歪みを正そうと動くことでコミュニティに波乱と変化が生れるのです。

 

 みーくんは学園生活部の歪みを指摘します。ゆきはこのまま現実逃避していてはいけないんじゃないか、周囲の仲間がそれに合わせているのはダメなのではないか、その状況が共依存になっているんじゃないか、と部内の仲間に問うのです。

 

 みーくんの考えに僕らは共感します。

 アニメだとかなりマイルドになっていますけど、漫画だと彼女の行動に狂気を感じますし、場合によってはイラだつ時があります。

 

 遠足の時に、もうだれもいないはずの友人の家で、せっかくだからおかあさんに顔を見せに行ってきなよ、とか仲間に言ったときには何言ってんだコイツとか思いましたよ。読者っが心の中でうすうす思ってるけど、すでにそれが当たり前になっているコミュニティで唯一読者のもやもやを明らかにできるのが後輩キャラなんです。

 

 でもですね、そう思うんですけど。だんだん、みーくんが先輩の考えを理解して感化されるにつれて、僕たちもそんなことないかなと思うようになっちゃうんですよ!

 

 1話で視聴者に衝撃を与えた主人公、ゆき。彼女はゾンビから逃げ、学校で生活している今の状況を部活動だと思い込むことで、精神の均衡を保っている女の子です。

 

 彼女は精神異常でゾンビが見えない楽しい学園生活が続いているとおもいこんでいる女の子なんですが、原作ではゆきに彼女はふりをしているのではないか、とうたがわれています。

 しかし、話が進むにつれて、彼女はみんなのためにそうしてるんだとおもうようになるんですよ。ゾンビから隠れなきゃいけない現実に対して、それを忘れて楽しく遊ぼうとみんなに呼びかけることで悲惨な状況の中でも楽しい日常を守ろうとしている姿をいじらしく思ってしまうんですよ。

 

 これはですね、ただ怖いだけじゃない。人としての強さみたいなものをかんじさせてくれます。

 

 つらい日々の中で、ほんのひとときの楽しい日常を大事にする。

 

 僕たちは、彼女とおなじようなことを大なり小なりやっています。

 学校でつらいことがあった日に放課後で友達と遊んだり、

 会社で残業した後で、朝にビールを一杯飲んだり、

 人生ってのは、どんな大変なことがあっても、たのしいあそびというのをそのなかでみつけて生きていかなきゃいけないものです。

 

 それががっこうぐらしのテーマです。

 

 だから、彼女たちに頑張れと言いたくなりますよ。泣けますよ。面白いですよ。

 

 と、俺らと彼女は同じなんだよ、という結論にたどり着いたわけなのですが、こんなことを考えるかたもいるかもしれません。

 

 感情移入したいんだったら、男の子でよくない? って。

 

 けいおんだって、男の子が演奏する部活でいいし。がっこうぐらしもゾンビに怯える男の子の話でもなりたったんじゃないかって。

 

 そんなことないからね! それやったら台無しだからね!

 

 感情移入すると言ったってですよ。いい感じの距離感ってのがあるんですよ!

 

 ラブライブの時に言ったように、けいおんは、同性の友達とだらだらとこんな日常を送ったと共感できるアニメです。それが漫画研究部などのオタクっぽい部活でないのは俺らに近づけすぎると、逆にげんなりするからです。お菓子を食べながら時々ギターを鳴らすプロを目指しているわけではないけど楽しいからやるゆるい部活を舞台にしているから、かわいいな、と思いながら共感できるんです。

 

 それがですよ、ムサい男同士のけいおん部の話になってみてください。

 

 彼女もいずに音楽やってるって話が急に酷な話に感じるし、かといって、彼女いたりモテてたりしたら絶対共感できませんよ。

 

 さらにですよ、がっこうぐらしの登場人物が全員男で。

 その男どもがゾンビを見て、「もうやだよぉぉ……いやだよぉぉぉ」とか言ったところを想像してみてください。ゲンナリしますよ。見るんじゃなかったと思いますよ。

 

 そういうげんなり感を味わいたかったら、『アイアムヒーロー』を読めばいいんです。

 

 あれはかわいい女の子だから「可愛そう」とか言って面白いと思えるんですよ。

 

 以上、言いたいこと言いまくりましたけど、『がっこうぐらし』、漫画もアニメもオススメなのでぜひウォッチしてください!

 

 

 

ガッチャマンクラウズ見ようよ! ※ネタバレ注意

 

 テレビには、今期も新たなアニメが生れている。

 だれがアニメをみはるのか。だれがアニメをウォッチするのか。

 にわかアニオタ、神島竜が今立ちあがる。

 惰性の習慣アニメブログ。つまりこういうことがいいたかった。

 

 さて、週間ではありませんが習慣でみるアニメをおもいつきでおもいっきり評価するこのブログ。今回紹介するアニメはこのアニメ、『ガッチャマンクラウズ』。

 

 この作品は、タツノコプロの看板アニメのひとつ、『科学忍者隊ガッチャマン』のリメイク作品です。手帳を偏愛する華の女子高生、一之瀬はじめは、ガッチャマンの指導者JJからNOTEを授かりGメンバーの一員となる。彼女はGメンバーの先輩である橘清音(たちばなすがね)とともに人を襲うMESSと戦うのだが、初戦で彼女はMESSとの戦いに疑問を持ち、なんとMESSと戦う清音を妨害してMESSを逃がしてしまう。独断専行の彼女の真意とはいったい……というところまでが一話と二話のさいしょあたりの筋書きです。

 

 まずみなさんにお伝えしたいことは、このアニメを一話で切ってはいけないということである。二話みてください、三話みてください、できることなら四話までみていただきたい。ここまでみればわかるから!

 

 なんといっても一之瀬ちゃんがかわいい! 声優、内田真礼のボクっ娘! この時点でかわいいでしょ! 真面目な先輩を困らせるボクっ娘後輩系超人女子。途中途中の自作の歌もかわいいね。「Yってなんだっけ~♪」の歌は何回でもリピートできちゃう。

 ただかわいいだけじゃない。チャラいアホの子のようで、じつはいろいろ考えているマジメな女の子。二話、三話、みていけばそこがわかっていきます。

 従来のガッチャマンにはないであろう世界観も魅力です。舞台はギャラックスーというtwitterやfacebookのいいとこどりをしたソーシャルネットワークが一般化されている未来。三話、四話にはその世界観の魅力が詰まっています。

 

 ここまで語ると斬新なストーリーのように感じるんですけど、意外と王道にものっかっています。たとえば、この作品はドラマ『HERO』と同じなんです。

 

『HERO』はキムタク主演の検察官のドラマです。このドラマは大雑把に言えば、検察という本来お堅い職場に、ジャッケットを羽織って現場に出向く破天荒な男が周囲をひっぱりまわす話です。

 

 どちらも規則に縛られる集団の中で異端なキャラが活躍する話です、似てるだけと言われればそれまでですが、問題はこういう話のどこがおもしろいのかということです。

 『HERO』には忘れてはいけないキャラが二人います。一人はキムタクが演じる久利生公平、もう一人が松たか子が演じる雨宮舞子です。このドラマは二人の関係によってできているといっても過言ではありません。雨宮は型破りな久利生に振り回されながらも、彼の事件に対する真摯な姿勢に感化され徐々に成長して行きます。

 

 彼女は検事というお堅い職場の代表です。彼女が振り回されれば、職場の仲間も振り回されますし、彼女が成長する頃には職場も変化して一つの大きな事件に一丸となって取り組みます。

 

 一つの流れに沿ってルーチンワークを繰り返す職場が一人の新参者によってかわっていきやがて大きな結果をのこす。ここに僕たちはカタルシスを感じるんです。

 この流れは、『派遣の品格』『半沢直樹』にもあります。僕たちの心のねっこにあるおもしろいと思えるベタな展開なんです。

 

 僕たちはまずこの型破りな新参者に憧れます。だれもが新参者になったことがあるからです。

 

 思い出してもみてください。学校に入学した初日、新入社員となったあの日、新しい町に引っ越して不安と期待でワクワクしたあの時。だれもが彼らのような新参者になったことがあるのです。その時に、あなたは久利生のように生きた事はありますか。周囲のルールを無視して、自分の考えを通そうとしましたか?

 

 そんなことないでしょう、まわりの暗黙のルールを理解しながら、徐々に自分の身の置き所を作っていったはずです。

 最終的には、雨宮のように多少の個性はあっても型どおりの人間になります。僕たちは彼女か彼女の周囲の職場の誰かに共感するでしょう。

 

 そこに生意気な新参者が自分の考えで周囲をひっかきまわし、事件を解決します。そこに僕たちは溜飲を下げるんです。なんだかんだで僕たちは集団の中でなにもできず、何も変わらない自分たちに不安や不満を抱えているものです。だから新参者が「それっておかしいっスよ。先輩」と言って勝手なことをしてそれでホントに解決できちゃうところに面白さを感じるんです。

 

 ガッチャマンクラウズもこういう話なんですよ。だから面白いんです! だって、ヒットするドラマで何度もやってるパターンですよ!

 

 もちろん、これが好きならこの話も面白いとおもいますよ、という陳腐でチープでちんぷんかんな話で終わらせるつもりは毛頭ありません。『ガッチャマンクラウズ』の面白さはストーリーの展開だけじゃない。この作品は『HERO』という大衆的な話の定番と同じ流れをもっているが、これは大衆のものではなく俺らのアニメだ。深夜にやっている俺らの愛すべきキャラが愛くるしい暴走で、俺らの抱える問題に哀、苦しみながら悠然と立ち向かう深夜アニメなんだ。

 

 その問題のカギを握るのがベルク・カッツェと爾乃美家累です。

 爾乃美家累、ここではルイくんと呼びます。ルイくんはすごいんですよ。彼はこの世界でとあるソーシャルネットワークと人工知能をつくっています。それがギャラックスと総裁Xです。

 

 ギャラックスはtwitterとfacebookのいいとこどりです。利用者の個人情報、つぶやき、を人工知能の総裁Xが管理、整理しながら問題解決に役立てるものです。

 これの面白いところは、その問題解決が利用者の手で行われているということです。たとえば、利用者Aが総裁Xに隣の騒音について相談します。すると総裁Xは弁護士の資格を持つ利用者Bを探し出し、彼にミッションの形で利用者Aの相談に乗らせ、問題を解決します。解決すると、利用者Bは総裁Xからポイントがもらえます。

 多くの人がこれを利用することで相互に助け合う社会ができるわけです。もちろん、これに疑心感を持つ人もいます。ここらへんの設定は三話と四話で詳しく説明してあるので、ぜひそこまで見てほしいなあ。

 

 さらに、ルイくんはベルク・カッツェからとある能力をもらっています。能力は人の魂を実体化させる力。実体化された魂は車を軽々と持ち上げるほどの異業の怪物でクラウズと呼ばれています。彼はこの力でハンドレットを組織します。彼はハンドレットのメンバーにクラウズの使用を許可し、問題の解決に当たっています。クラウズはルイくんの一存がなければ発動せず、ハンドレットの中の何人かはそのことに反感をもっています。

 

 彼は、クラウズとギャラックス、総裁Xさえあればガッチャマンはいらないと言います。このへんで予想できるんことですけど、そんなことないんですね。このみっつの仕組みが後に暴走することになります。その暴走のひきがねを引くのがカッツェです。

 

 カッツェは宇宙の星々を滅ぼしてまわる悪役です。キスをした相手に変身する能力を持ち、さまざまな人物に変身して集団を暴徒に変え滅亡への道を扇動します。彼はこの能力でルイくんに化けて総裁X を操作し、ハンドレッドのメンバーにクラウズを与え、暴徒に変えるのです。

 

 暴走するクラウズたち、それに立ち向かうGメンバー。僕が好きなのはここまでの話の後の話です。この暴走するクラウズ達に対する決着のつけかたがホントにおもしろかった。

 これに関してはあえて語りません。ぜひ見ていただきたい。

 ふつうだったら、ここでガッチャマンたちがクラウズと戦って勝っちゃって、やっぱ世界にはガッチャマンが必要だよね、って展開じゃないからね!

 その語れない部分こそが僕がこのアニメが俺らのアニメだと言いたいところなんですよ。

 

 今なら、バンダイチャンネルで配信されています。月額1080円です。1080円で見れるなら安いでしょう。今月中に登録して、ガッチャマン全部見たらすぐに解約していいですからぜひウォッチしていただきたい。

 

バンダイチャンネルのURLはこちらです↓

http://www.b-ch.com/

 

 さらにです! ガッチャマンクラウズ、今月の5日から二期やります。

 それもぜひウォッチしてください!

 

 番組公式のURLはこちらです↓

http://www.ntv.co.jp/GC_insight/

 

 

 

ラブライブ観たよ!(ネタバレあり)

 ラブライブ劇場版を観ました。
 
【あらすじ】

   3年生の卒業と同時に活動をおしまいにすることを決めたミューズは、卒業式の直後に届いた知らせを受けて、ニューヨークでライブをすることに! 今、彼女たちの最後のラブライブが幕を開ける!


 面白かったよ! ホントに!
 
 テレビ版を観た人たちは必ず見るべき一作となっております。
 だって、どこを観たって女の子が可愛い!
 行く前にパパに行ってきますのキスをする真姫ちゃん。
 しょげる海未ちゃん。白米が恋しくなる花陽ちゃん。
 そして、1年組、3年組、2年組それぞれにあるミュージカルパート。
 
 これだけで1600円払った価値ありました!
 
  ニューヨークを舞台にしたラブライブメンバーの可愛さ満点の日常。
 この辺までは予告CMで期待した通り。
 こっからが凄いんです。
 
 ライブの後、日本に帰国する彼女たち。なんと、まだ1時間もあるんですよ。
 彼女たちを待っていたのはたくさんのファンたち。なんと海外ライブが成功して有名になったんですね。 秋葉原で自分たちのポスターが貼られてたり、PVが流れてたり。この辺、ラブライブ映画化が決定した時の現実世界の秋葉原に、彼女たちが迷い込んだ感じがして好きでした。
 
 そして、小鳥ママからラブライブのドーム公演実現のため、ミューズの活動を続けてほしいと言われ。彼女たちはまた悩むことになります。
 じつは映画で知りましたけど、作中ではスクールアイドルはまだマイナーで。それをメジャーにして、秋葉ドームでの開催をするためにミューズは今回ニューヨークに行くんですね。
 
 みんなが自分たちに続けてほしいと期待している。ここで彼女たちはまた悩むんです。
 ここが泣けるんです。10話の時とは違うんですよ。10話の時は先輩が卒業しても一年生を加入させて続けるかって話なんですけど。今回は、3年生が卒業した後もアイドルグループとして9人で続けるかって話なんです。
 
 でもそれはどうなのか! 結論はもう決まってるんです! わかりきってるんです!
 
 だけど、泣けちゃうの!
 
 だってさ! 俺たちだってさ、おもしろいアニメやマンガは続いてほしいじゃん。でも、続いてほしいけどさ、これ以上続いたらダメになってしまう。今、最終回を見てしまうのが、おわりを見るのが正しいってのがわかってるんだよ。だから悩むんだ!
 
 ミューズのまわりの期待や、小鳥ママの主張は俺たちやスクフェスで稼いでいるKLABの願いだよ。
 俺だって花陽ちゃんもっと見たいしKLABだってもっと課金で稼ぎたいだろうよ!
 
 続けるべきか、やめるべきか。悩むほのかの前に二度現れる、高山みなみさんが演じる謎の女性シンガー。あれも良かったですね。彼女の正体については色々説があるらしいですけど、僕は未来のほのかだと解釈しています。
 
 今、悩んでいる彼女に対して未来の自分を出すって禁じ手な気がしますけど。今回に限っては良かったと思います。映画の冒頭に出た子供時代のエピソードを絡めながら、未来の自分に導かれて大きな水溜りを飛び越えるほのか。どんな困難にぶつかっても、ミューズがなくなっても、ほのかはほのかなんだ、と思わせてくれたところがよかった。TVシリーズでも、彼女は自分が自分であることによって起きる障害に、悩んだりヘコんだりしましたけど。今回もそういう話で、それに対していつだって彼女の出す答えが揺るがない自分らしさなんです。ここで俺は泣くんです!
 
 とは言ってもですね。観たみんなが劇場版を褒めているわけじゃないことも知ってます。
 
 俺も個人的にラブライブを盛り上げるために200人くらいスクールアイドル集めたのに結局、彼女たちバックダンサーみたいだなとか。秋葉ってNYみたいって凛ちゃんが褒めてた時、ちょっと秋葉褒めすぎじゃないかなって思いました。
 
 ただね、これだけは言わせてください。
 
 映画けいおんと比べてクソとか言ってんじゃねェェェ!
 
 けいおんの感動とラブライブの感動は種類が違うんだよ!
 
 けいおんってのはね。ダラダラとしゃべる日常を丁寧に描く。そこが凄いよ。普通の日常をやりながら、それでも卒業の時が来てしまうのを見て、ああ、俺たちもこんな風に同性のダチとダラダラとバカみてえなことをやったげど、今思えばかけがえのない時間だったな、と失った日常を思い返して泣く、そういう感動が魅力の作品だよ。だからロンドンに行くまでの流れや入国審査とかが妙にリアルだし、女の子が生きてるって気がするんだよ。
 
  っで、ラブライブはさ。すべてが唐突だし、キャラが周囲の現象に流されてるって気がする時があるよ。海外から帰ったら有名人になったり、ラブライブのお偉いさんの依頼でニューヨークに行ったり。そもそもミューズの活動も廃校という突然の事態に対して生まれたものだしね。人によっては製作者の作意が見える人もいるかもしれない。
 
 だけどね、そこでやるほのかたちの決断は、ほのからしい決断なんだよ。
 そこに俺が泣くんだよ!
 
 この感動はね、失った日常なんかよりももっと残酷な、彼女たちのようには生きれない俺たちという現実からくる涙なんだ。
 
 彼女たちのようには生きれないってのはさ。可愛い女の子になれないとか。スクールアイドルになれないとか。有名になれないとかじゃないんだよ。彼女たちのように自分を曲げずに頑張れないって話なんだよ。
 
 そりゃ、俺たちだって頑張ってるよ。不景気の中、就活したヤツもいただろう。イジメを受けて耐えるしかなかったヤツもいただろう。受験のために友達を失ったヤツだっていただろう。部活で必死に何かを掴み取ろうとしたヤツもいただろう。脇目もふらず、誰も応援しない将来の夢に孤独で頑張ったヤツもいただろう。
 
 だが、この世に自分を曲げたことがないヤツはいるのか?
 
 人に好かれるために、好きでもないドラマや芸人をみたりさ。就活のために必死で自己分析したりさ。受験のために必死で勉強したりさ。なにか自分の軸とは違うことをやったり、言ったりして、それがいつのまにか自分のキャラクターの一部となってしまったことはないか。
 
 僕はありますよ。
 
 そういう風に周囲の変化に合わせて変わってしまったことを人は成長と言うんです。
 
 じつはこの類の成長はドラえもんやクレヨンしんちゃんなどの、アニメ映画ではやってはいけないことなんですよ。
 映画が終わった後もテレビ版の放映は続きますからね。だから、変わらない日常への回帰が映画の目的になるんです。
 
 物語は必ずプラスを重ねていかなきゃいけない。1が0になって、1になる物語なんて面白くもない、て荒木さんは漫画論で言ってました。
 
 ラブライブはね。あえて言うなら100が100であり続けて、100のまま終わる話なんですよ。
 
 だから、スクールアイドルのまま音の木坂の伝説となるし、ラブライブを盛り上げるためにほのからしい無茶をする。
 
 それがちょっとご都合主義だろうと、細けぇこたぁいいんだよ!
 
 ってなわけで! ただいまラブライブ劇場版は絶賛公開中だ。なんと2日で興行収入が二億いったらしいぞ。まだ観てない人は劇場で今すぐウォッチだ!
 
 

 

 

『平成ライダー対昭和ライダー仮面ライダー大戦』について

   いつのまにか、仮面ライダーが守る範囲ってせまくなった気がする。

 

 昨日から『平成ライダー対昭和ライダー仮面ライダー大戦』が劇場で公開されています。CMを観た時おどろきましたよ。しょっぱなから仮面ライダー1号の本郷猛が鎧武にむかって、「おまえのようなひよっこをライダーとは認めん!」って言いだしますからね。何事かと思いますよ。まだ観ていないんですが、なぜ本郷武が鎧武にそんなことを言うのか、気になるばかりです。

 

 

 

 

 それでですね、今朝、その映画の宣伝もかねてなのか、スーパー戦隊トッキュージャーと鎧武のコラボが行われていて、ちょっと観ていたんですよ。

 

 話の内容としては、トッキュージャーが鎧武のいる街にやってきて、そこに現れる地下帝国バダンの怪人と戦うというものです。それでそのとき、疑問におもったことがあるんです。それはですね、

 

 仮面ライダーって守る範囲がだんだんせまくなっていないか? というものです。

 

 たとえば仮面ライダー鎧武って、あくまで沢芽市の危機だけを守っていて、あの市から外に出ていませんよね。

 

 逆に、むかしの仮面ライダー1号や2号って、北は北海道、南は沖縄まで、けっこう遠くまで足を運んで怪人と戦っていたことが多かった気がするんですよ。

 

 僕は仮面ライダーは響からみはじめたんですが、たぶん仮面ライダーWあたりからはじまっているとおもうんですよね。あの作品も風都っていう狭い範囲を守っているじゃないですか。

 

 仮面ライダーOOOでも、昭和ライダーを意識したバッタのヤミーが出てくる回で主人公は、自分は両手をひろげた範囲のひとを救いたい、と昭和ライダーを否定するようなことを言っています。

 

 さらにその次のフォーゼも学園もので、やはり学校内での話にとどまっているんですよね。

 

 残念ながら、仮面ライダーウィザードは最後までみていないし、ちょっとこの流れの例外になっている気はするんですけど、確実に昭和ライダーと比べると守る範囲が狭くなっている気がするんですよね。 

 

 そういうことを考えると、誰にも褒められずに、怪人を倒しにいろんな地域に出向いて怪人を倒す昭和ライダーと一つの街にとどまってそこで仲間を守り、周囲と仲良くやっている平成ライダーという図がボクの頭の中に浮かぶんで、自分が本郷武だったらおなじことを言いたくなると思いました。

 

「おまえのようなひよっこをライダーとは認めん!」とね。

 

 

 

もう食べれないそばめしふりかけは子供時代のご馳走だった

 

 何を食べるのもはじめてだったあの頃、子供にとってはごちそうと呼べるものがいくつかありました。 

 

 なぜか家ではたまにしか出なかったなめこの味噌汁。台湾に住んでいた頃は時々しか買えなかった特濃ミルク8.2。友達の家でしか食べられなかったコアラのマーチ。

 

 そういう子供の頃のごちそうは今あらためて食べるとそうでもなく、おいしいけどなにか違う、と思ってしまうものです。でもそれは気のせいで、ただ食べ慣れてしまっただけなんですよね。大人になって、ふだん食べられなかったものが簡単に食べられるようになったその瞬間に、子供時代の幻想は消えちゃうんです。

 

 そうやってボクのなかにもたくさんの子供時代のごちそうが消えていっているんですが、ひとつだけ、まだ幻想のままになって記憶の中に残っているごちそうがあるんです。それが永谷園のそばめしふりかけです。

 

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 小学生の時は衝撃的でした。ご飯の上にかけて、かき混ぜるとやわらかいそばと小さなお肉が混ざってこれがなかなかうまいんですよ。ボクの小学校は昼食が弁当なんですけど、当時、あのふりかけをもってきたヒトはヒーローでしたね。

 

 大げさだと思うかもしれませんけど、これが違うんですよ。当時はですね、父の仕事の都合で台湾のほうにいたので、その時、日本で売られているふりかけは祖父母から送ってもらわない限り手に入らなかったんですよ。

 

 だからこそ、あれはボクにとって子供時代のごちそうになれたわけです。

 

 それじゃあ、今なら食べられるのか? そうは問屋がおろさないんですよ。

 

 あれは小学校4年か5年の時だったんでしょう。あのふりかけは突如、日本のスーパーから消えたんです。これは小学生の間でやりとりされたヒトからヒトへの又聞くきによる信憑性の薄い情報なんですけど、ちょうどこの時アメリカの牛からBSEのうたがいがあるからってので輸入を停止しまして、それが理由で出さなくなったらしいんですよね。

 

 中学までは吉野家の牛丼のように復活してくれることを期待したんですが、結局、出てこないまま、昨日、思いだしてついつぶやいてしまったんですよ。

 

 ああ、そばめしふりかけ、また食べたいな。