そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

電撃文庫大賞、86(エイティシックス)のはなし 前半ネタバレ注意!

 さて、今回紹介する作品はこちら、『86ーエイティシックスー』です。

 

あらすじ(公式ホームページからの引用)

 サンマグノリア共和国。そこは日々、隣国である「帝国」の無人兵器《レギオン》による侵略を受けていた。しかしその攻撃に対して、共和国側も同型兵器の開発に成功し、辛うじて犠牲を出すことなく、その脅威を退けていたのだった。

 

 そう――表向きは。

 

 本当は誰も死んでいないわけではなかった。共和国全85区画の外。《存在しない“第86区”》。そこでは「エイティシックス」の烙印を押された少年少女たちが日夜《有人の無人機として》戦い続けていた――。 

 

 死地へ向かう若者たちを率いる少年・シンと、遥か後方から、特殊通信で彼らの指揮を執る“指揮管制官(ハンドラー)”となった少女・レーナ。


 二人の激しくも悲しい戦いと、別れの物語が始まる――!

 

 いろんな方がこの作品を褒めてて、スゴイと言ってる。なんでかなと思って読んでみたらですね。

 確かにスゴイ。脱帽ですよ。ロボットものとしての戦闘の描写。悲哀さが漂うキャラクターの生きざま。

 

 ただ、かわいそうですねで終わらない。差別の仕組みを語るだけでなく、それに至る心理を描く。作中の差別に憤る読者に向かって、お前も差別してんだよつきつけるストーリーラインのスゴさ。そして、ブログでは語れない驚きのラスト。

 

 今回は文章と中盤の手前までのストーリーのうまさについて語ります。そっから先はぜひ読んでほしいので話しません。

 

ロボットの描写

 最初の数ページで作者の描写力に引きこまれます。緻密で、かつ読者の想像力を信頼した文章を書いています。

 

(書籍からの引用)

ーー節足を模した長い脚部。白茶けた装甲は無数の傷に汚れ、鋏に似た高周波ブレードと背部主砲。全体的なシルエットは徘徊性の蜘蛛、四つ足の背に長い砲身を負う様は蠍のようであり、また人間で言う頭部のないその形状はどこか、無くした己の首を探して戦場を這いずりまわる白骨死体のようでもあった。ーー

 

 蜘蛛、蠍、白骨死体。全体像をしっかり書いた上で、いろんな比喩を多用することで、ロボットがどういう姿をしているのか微妙にボカしている。だから読んでてさ。頭の中のロボットの姿がおどろおどろしく感じてさ。怖いんですよね。

 

 作者さんはさ。これはこうだった。まるまるのようってさ。言い切らないんですよね。なのに頭にぼんやりと陽炎のような夢の中の映像のようなさ。はっきりはしないけどぼやけたものがあたまにのこる。これが気持ちわるくってさ。不安でさ。ついついページをめくるんだよ。

 

 次の文章とかもスゴイんだよ。

 

(書籍からの引用)

ーー 微かにわらう気配がした。

 笑う、ではなかった。どちらかといえば嗤う、に似た。けれどもっとしんと冷えた。

凄絶なまでの鋭利さゆえに目を奪われる、鋭くも危うい氷刃のような。狂気のような。

『ーーいいえ』ーー

 

 これもさ。最後までさ。比喩が連想ゲームのようにつながるんだよ。んでさ。どんな笑顔なんだろうってさ。頭の中ぐるぐる考えてさ。ようやく形になると思ったとこでさ。いいえ、って言って終わるんだよ。つきはなされちゃったよ。すごい気になること言われてさ、電話切られたような気分だった。この描写はさ。太宰治さんの『人間失格』の冒頭並みに気持ち悪い、薄気味悪さが漂う良い文なんだよ。

 

あなたも差別をしている

 今回の作品の前半のさ。表向きのテーマがさ。共和国による86への差別。人として扱われていない彼らをパイロットにすることで、有人機である機体を無人機として戦場に出す。

 

 主人公のレーナはそんな86を監視、管理をする指揮官の立場に立つ人でさ。彼らとは通信機を介しての会話をしているんですね。

 

 レーナはさ。ある経験からさ。自分は86を対等な人間として扱おう。86を家畜として扱うなんて間違っている、と考えています。

 

 でもさ、これが偽善だと、86から言われるんだよね。これは意外でもないんだけどさ。その時にさ、言われることがさ。そう来たかって、ビックリするんだよね。

 

 その辺、ボカして言うとさ、レーナが無意識にやってたあることが、86にとっては差別的な扱いだったってはなしなんだけどさ。

 

 あのシーンさ。パッと見はさ。ズートピアでウサギの警官が記者会見で差別的な発言をしてしまったシーンみたいにさ。だれしもが無意識に差別してるってはなしだと思うんだけどさ。じつはさ、それはミスリードでさ。86の言うお前は偽善って言葉はさ。レーナだけでなく。そのレーナを通して86をみている僕らに向けて言ってるんですよ。

 

 僕らはさ。いろんな文化や人種差別のある世界のなかでさ。一番良識のある人間にさ。感情移入してさ。その世界で間違った非常識をもった人間にさ。優越感を抱いたりする。

 

 これさ、異世界転生ではよくありますよね。エルフだったり、ドワーフだったりが差別されてる時。異世界転生した主人公がこんなの間違ってると憤り、そんな彼に僕らはそうだそうだと感情移入する。

 

 その時さ。僕らは差別に怒るというよりも。差別をしている人間を自分より劣った人間だと見下げてるんですよ。

 

 作中のレーナもそういうとこありますよね。

 

 でさ、この感情をさ。面白さになっている作品の一つにさ。挙げれるのがキノの旅じゃないかと思うんですよ。

 

 キノの旅ってさ。少年っぽさをもった中性的な女の子、キノがさ。いろんな国を旅してさ。その国の問題に対して、解決したり、諦観したりするはなしなんだけどさ。

 

 あれ読むときのさ。国の人のはなしを読むときってさ。こいつらってバカだよなってさ。見下げる読み方をさ。ついしちゃう時がさ。俺らにあると思うんだよ。

 

 なぜ言い切れるかと言えば、キノの旅が寓話とミリタリーをくっつけてしまった。ガリヴァー旅行記みたいにさ。キノが訪れる国ってのはさ。僕らの身近ななにかをキャラ化したり記号化したものでさ。どうしても、コイツは愚かだって思っちゃう方向に頭が動いちゃうんだよ。

 

 キノの旅の作者さんもさ。この作品が旅を通して、一人の少女が世界の美しさを見る話じゃなく。なんでも関連づけ、考察するスノッブなヤツがさ。キノの視点でこいつらバカだよなって読んじゃう寓話として読まれることを危惧してだと思うんだよ。あとがきの悪ふざけもさ。新しいことをやりたいって、気持ちもあったんだろうけどさ。作品を権威化したフリをしてさ。人の愚かさや。戦争の愚かさを嘆くフリをしてさ。アイツらバカだよなって思いたい読者を煙に巻きたいって思いもあったんだと思うんだよ。

 

 86たちに、偽善者だと言われたレーナもさ。この読者と同じなんだよ。彼女のさ。通信機を通して、戦場を見るって行為はさ。本を読む俺らと同じことしてんだよね。

 

 キノの旅の作者、時雨沢さんもその辺を含めてさ帯で絶賛してたんじゃないかな。

 

 さて、ながながと話しましたが。じつはまだ前半。後半から衝撃の展開につながっていきます。続きはぜひ読んでみてください。

 

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