そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

うさぎ強盗には死んでもらう

 

  さて、今回紹介する作品はこちら、『うさぎ強盗には死んでもらう』。

 

あらすじ

 京都左京区のマンション。空き巣に入った泥棒カップルは、痴話ゲンカ真っ最中だった。その向かいのオフィスビル屋上。青年は潜入した人身売買組織に、殺人を強要されていた。悪鬼蔓延る上海の外灘地区。最強の殺し屋は、今まさに亡き師匠の敵を追い詰めていた。そこから1200kmの広東省。田舎町のパブで、少年は23回目のチェックメイトを宣言した。伝説の賭博師“うさぎ強盗”が彼らの物語を繋ぐとき、驚愕のエンディングが訪れる!

 

 複数のキャラクターの視点で語られる作品で、話が進むうちに驚愕の真相が明らかになり、事件が解決されていく。キャラクターがごっちゃにならないようにちょっとずつ情報を開示して、最終的にひろがった事件をすべて解決して風呂敷をつつみきる。

 『蜘蛛ですがなにか』、『デュラララ』、『ドミノ』、伊坂幸太郎作品など、共通した形式の作品はたくさんありますね。すべてのキャラクターが主人公なりえるように書く必要もありますし、物語の流れを俯瞰して描く力必要になります。

 こういう形式の作品が、定期的にちょっとずつ更新されて、スマホやPCでみるカクヨムで投稿されて、見事大賞を受賞するってスゴイことですよ。

 

 登場人物がたくさんいるのに、それぞれのキャラをしっかりと立て、話の合間にしっかり区切りをいれているから、長編でありながら、短編集を読んでいるようなわかりやすさがあります。じつは全体を通して引き継がれる伏線を立てながらも、ちゃんと起承転結を小刻みに立ててるんですよ。

 

 それと、この作品、ミスリードが上手いんですよね。

 

 僕は、こう読めたかもしれないけどじつはこうでしたって、作品は苦手なんですけどね。今回、ミスリードだったんだって気づいたときにイラッとしなかったんですよ。あまりにも鮮やかにだましてくれたものだから、一流のマジシャンの手品をみたような気分で読み終えることができた。

 

 読み終わった後に、もう一回読むと、キャラのセリフだったり、地の文だったりもさ。別の意味合いで読めてしまう。一回目と二回目で作品の雰囲気が変わってしまう。そのくらいさ。この作品の構成ってのがさ。すごいんだよね。

 

 カクヨムの感想コーナーでさ。これはみんなに読んでほしい読むべき作品だって語っていた方がいたんですけどね。僕はこれは大げさでもなんでもなく、本当に今の若い子には読んでほしいと思いますよ。

 

 よくさ、読書をする意味ってのでさ。他人の気持ちをわかるために豊かな感受性をはぐくむためにあるんだってよく言うじゃないですか。

 それは違うってさ。僕らはみんな知っている。

 

 本を読んで他人の気持ちなんてわかるわけないんですよ。豊かな感受性だってそうです。でも、それでも本を読んだほうがいいのはさ。思春期だったあの頃の僕らができるだけはやく見つけたほうがいいってことがさ。あなたにしか見えないことがある、知れないことがあるってことなんですよ。

 

 複数のキャラの視点や思いが重なり合って、一つの大きな事象が明らかになる。本を読んでいるときだけは僕らは全知の神の視点となって、物事の流れを事件のあらましを知る権利を得られる。

 

 複数の視点が交差する作品で、大なり小なり共通して伝えたいことはさ。キミが見ている世界の裏側にはもっと面白い世界が広がっているかもしれないってことなんですよ。

 

 僕らはネットなり、テレビなりでさ。これこそが真実だって思いこまされている。そんなもんだからさ。俺らはさ、若いころからなにか冷めた感じになる。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』ってあったじゃないですか。普通ではないなにかになりたい、特別な何者でありたいと願う少女が、野球場に集まっている何万人の観客がありふれた普通の人で、そこにいる自分も普通なのではと考え、そこから抜け出すためにSOS団を立ち上げる。ハルヒを中心に考えるとそうじゃないですか。あれってさ、1巻だけを見るとさ。1人の少女が思春期の万能感を捨てようとした話でさ。そこにキョンがお前の知らない世界があるって言うことで、その思春期のきらきらとした物語が継続されるって話じゃないですか。

 

 あれのハルヒちゃんの知らない世界ってのが、超能力者や未来人、宇宙人なんだけどさ。ああいうさ、あるかもしんないよっていう、未知の知ってのをさ。広げていくってのがさ。真実があふれている情報社会では必要なことなんですよ。

 

 ウサギ強盗もさ。ラストに意外な人物がさ。一人の少女にさ。だいじょうぶ、キミは幸せになれるみたいなことをさ。言うじゃないですか。

 なぜあそこで、あの人が出てくるかといえばさ。あの人は作中で一番、作品内の事件から遠い存在で、つまりは読者である僕らに一番近い存在だからなんですよね。

 そんなあの人だからこそ。僕らは感情移入して目の前の少女に語り掛けることができる。少女がこれから会う人は、彼女が今まで会ってきた人とは違うひとで、キミはこれから自分が思っても見ないような幸せが訪れるんだよってことをさ。

 

 なぜそう思えるかといえばさ。ウサギ強盗の複数の視点を介しての物語を経験したことで全体を俯瞰した視点で見ることのできた僕らだからこそ、まだ何も知らないことがある少女に対して優越感をもって接することができるんですね。

 全知をもって、作中のキャラに対して抱く優越感ってのはさ。読書することでこそ、得られる優越感なんですよ。だいじょうぶ、君の知らないことがまだたくさんあるんだってキャラに対して抱く気持ち。こういうのを、読書した後に、自分に対しても言い聞かせる。

 

 そういうのって大事だと思うんだよなあ。

kakuyomu.jp