そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

この世界の片隅について ネタバレあるぞ!

この世界の片隅に、を観ました。

 

ネタバレありです。

 

この作品は、絵が得意な少女のすずさんの視点で語られる戦中の日本の人々の暮らしと彼女の成長を描いた物語です。

資金はクラウドファウンティング。すずさんの声優にはあまちゃんの主演であり、事務所との対立により仕事を干されていたのんさんが起用されています。

 

観ていて、ここまで心を動かされ続けて呆然とする映画ははじめてでした。

 

とにかくキャラの動かし方。街の描き方が上手い。すずさんって人が本当にいるように感じるんですよね。

 

だからこそ、キャラに感情移入をしてしまう。そうしたリアルを意識した上でこの映画には彼女の主観もしっかり描いている。

 

たとえば、すずさんがはじめて空襲を受けた時。彼女はここに絵の具があればな、って言ってて。そうすると飛ぶ戦闘機とすずさんが絵の具で描いた場合の戦闘機が交互に映り、爆発もカラフルになる。そういった主観とリアルが入り混じった表現を要所要所にいれながら彼女の成長を描いています。

 

なんで彼女があの時、空襲を綺麗だと思えるかと言うと。彼女は絵を描く才能と感性があるからなんですね。

 

俺らもそういうとこあるじゃないですか。なにかつらいことがあったとして、それを小説だったらどう描けるか。漫画だとどう描けるか。Twitterでなんで話すか。このようにつらいことに対してべつのフィルターを通すことでそれをつらくなくす。べつの意味合いに変えてしまう。

 

前半にこの世界の片隅ににあるのんびりしててクスっと笑える世界観はすずさんの絵を描くフィルターによって支えられているんです。

 

それが同じ小説書きの俺にはわかるから観てて不安だし、胸が詰まりそうになるんですよ。彼女がこのまま成長したらダメなんじゃないか。このままだととんでもないことが起きるんじゃないかって。

 

べつに悪いことでもないんですよ。現に彼女がそうしたフィルターを持っていたからこそ、海が嫌いだった水原くんはすずさんの絵のおかげで海が好きになるし。屋根裏に住んでいた白木リンさんにスイカと着物をあげることができた。

 

でも、ハルミさんは助けられなかったじゃないですか。

 

べつにすずさんが悪いって言いたいわけじゃないです。でも、彼女はなまじ他の人とは違う感性があったもんだからなにかに気づく時。自分のフィルターを通してからじゃないと動くことができなかったんです。時限爆弾だって通りかかった軍人さんに注意されたのに。彼女は授業を受けた時のことを思い出してからじゃないと動けなかった。

 

そして、彼女はハルミさんと自分の右腕を時限爆弾で失っちゃうんですよね。ここ、観ててキツイですよ。怒っていいのか。泣いていいのかわからない。〇年〇月〇〇した右手と繰り返しつぶやくのんさんの独白と共に崩れていく家。左手では彼女の描く絵は歪になることを表現することで彼女のフィルターがなくなってしまうことを表現するシーンに俺はムカッともするし、やるせない気持ちにもなる。

 

右手をなくすことで、後半、彼女はフィルターがない状態で戦争に向き合わなければいけなくなる。その証拠に、右手がなくなった後の空襲では前はカラフルだった爆発がただの白い煙になってるんですよね。

 

この辺、シンゴジラのテーマに通じるとこがあります。

 

シンゴジラ、広告で虚構対現実って書いてあるじゃないですか。あれって、いわゆる原発安全神話とか、今の日常がこれからも続くっていう、僕らがぼんやりと考えていた信仰がある日、震災によって破壊される。つまり、シンゴジラという虚構の存在が現れるまでもなく、僕らは虚構で守られていて、その虚構を虚構であるゴジラが破壊し、そのうえで立ち上がった僕らは現実と戦わなければいけない。そういったスクラップアンドビルドがテーマの作品なんです。

 

そして、この世界の片隅にでも、時限爆弾によって、すずさんは虚構を破壊され、現実と戦うことになるわけです。

 

そこで印象的なのは、家に爆弾が落ちた時ですね。すずさんは逃げる途中、自分の家に爆弾が落ちるのを発見する。その時、スゲェ長いことそれをみつめて。意を決してすずさんは叫びながら消火するんですよね。

後でモブさんがあのまま防空壕に逃げてたら、家が焼けてたって言ってるんですけどね。もし、右手があったら、すずさんは習っていた通りに防空壕に逃げて。家を燃やしてたと思うんです。この時から、彼女は自分で考えて行動しはじめているんですよ。

 

他にも、すずさんはあの後、アメリカが空から配ったビラをトイレの紙にしているんですけど。そこも家を守るために彼女が自分の考えで行動するのを表しています。

 

その辺の彼女の心の動きを語るうえで、俺がロックだなと思うのが広島の原爆シーン。

 

すずさんさ。その時、ケイコさんと話しててさ。ある瞬間でやっぱり呉にいますって考え変えるじゃないですか。あの瞬間が何かと言えば原爆が落とされたことで、彼女のいる土地まで原爆による光が届くシーン。絶句しましたよ。そこと彼女の決意が重なっちゃうんだって。

 

あそこはかなり不謹慎だと思いますよ。 自分の故郷が破壊される瞬間に自分は呉にいるんだっで決意するわけですから。

 

戦争を通して、一人の女性の成長をかなり危ういラインで書いちゃってるんですよね。

 

こうして、どんどん強くなり、成長していく彼女なんですけど。ある日、避けようがない真実に直面する。

 

それが戦争が終結するシーン。

 

彼女はラジオで天皇の言葉を聞いて。戦争が終わったことを知るんですけどね。彼女ったら、まだ戦えるここに五人もいるし、左手と両足があるじゃないかって言って、外飛び出すんですよ。すると、なぜかある民家から朝鮮?の旗が出てくる。それを見て彼女はウチらは他の国からの米や麦でできてるのか。だから暴力に屈するのかって叫び、こんなこと知りたくなかった、のほほんとした自分のまま死にたかったって泣くんですよ。

 

俺、観た時何言ってんだこの女って思ってたんですけどね。どうも違うらしいんですよ。

 

これは岡田斗司夫ゼミという。アニメ会社ガイナックスを設立して、今はアニメ業界引退してる元社長さんがやってるニコ生で出てた話なんですけどね。

 

なんでもあのシーンでは、日本が負けたことで失意に沈む中、自分たちの敗北を喜び旗を挙げる人たちがいる。それは自分たちが暴力で虐げた人たちでだからこそ、自分たちも同じ暴力に屈するのか。そんな事実を知らんまま死にたかったって意味らしいんですよ。

 

俺もこの辺は不勉強なもんだから、下手なことは言いたくないんですけどね。ここでようやく彼女のフィルターが全部外れるんですね。

 

散々っぱら、俺も彼女の絵描きとして現実を認識するフィルターを批判してきたんですけどね。虚構に包まれているのはなにも俺らだけじゃないんですよ。だれもが映像のなかにちゃんと写っているし、視界にも入っているのに認識していないことがあるんですよ。現にすずさんの発言も突然言いだしたようで、じつは闇市の時点で台湾米を売ってる商人の話がちょっと出てて。加害者側の日本の部分もちゃんと描いているんですよ。

 

その辺の右葉曲折があって、彼女は一人の戦争孤児を助けるんですよね。ここに傷つきながらも成長したすずさんのすべてがつまっていると思いますよ。一度目はへぇこうなるか、よかった〜って安心したんですけどね。二度目は泣きそうになった。

 

とにかく、観てないやつは絶対観ろよな!