そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

ファイティングドリーを観ました

ファイティングドリーを観ました。

 

あらすじ

前作、ニモを探しにマーリンとともに旅をしたドリーは、激流に巻き込まれたことをきっかけにドリーの父と母のことを思い出す。ドリーは小さな時に家族とはぐれてしまったのだ。家族に会わなきゃ……そう考えたドリーはニモとマーリンともにカリフォルニアまで旅をする。

 

 おもしろかったです。ピクサーの映像技術がスゴイっスね!  水族館の中や魚の動きがちゃんと観察されてるのがわかります。キッズコーナーでのシーンでは、俺も子どものころやったな、と胸が痛くなりました。

 ちなみに、海洋生物の監修はさかなくんだそうです。あのテレビチャンピオンのさかなくんですよ、スゴくないですか!

 

 ストーリーも泣けるんですよね。ドリーはなんでも忘れちゃうこで、前作はそれでイライラすることが何度もあったんですよ。ですけどね、ですけどね、そんなドリーをお父さん、お母さんがちゃんと愛して、育てあげててさ! ドリーはそんなお父さん、お母さんとはぐれちゃって。でも忘れちゃって!  でも気持ちだけはお母さんとお父さんに会いたくて!  それ観ると、前作であんだけ憎々しく思ってたぶんさ。ごめんね、ドリーもつらかったんだよねってさ。泣いちゃうんだよ! 涙が出ちゃうんだよ!

 

 今回のストーリーのいいところは抑圧と解放ですね。ドリーは忘れっぽいという短所によって、様々な不幸に見舞われます。そこがちょっとストレスたまるんですけど、絵が綺麗だから観れるんですよ。これ、魚だからってのもありますね。人間ドラマだと観るのがつらくなるストーリーだと思います。

 そして、そんな抑圧の後に、ドリーだからこそ思いつくアイデアの数々でいろいろな問題が解決し、カタルシスが得られる。

 これがもう、最高。泣けるんですよ。ドリーはドリーでいいんだと思える。

 

 ここまでいうと、よくあるみんな違ってみんないいって、テーマかと思うかもしれないんですけど、そんな軽いテーマじゃないんですよ。

 ドリーはドリーのままでいいなら、ドリーのお父さん、お母さんもあそこまでドリーの忘れっぽさをなおそうとする必要はないし、そもそもはぐれないわけで。大事なのは、ドリーはドリーのままでしかいられないってことなんですよ。

 

 僕らは同じような学校で同じような授業を受けて、同じような方法で同じことをできるようになろうとします。個性が大事って言いますがね、社会が求めるゴールは12教科5科目が満点取れるやつでそれ以外のやつを努力の足りない落ちこぼれと言います。矛盾じゃないか。僕らは学校で再三、これができないと社会でやってけないと言われますけどね。無視していいですよ、こんなん。この考えを信仰した先がこの前の障がい者にゴールがあると思えない問題ですから。ひとには限界があるし、俺にもキミにも限界というものがあります。

 

 あの時もっと勉強すればよかったとキミはいうけどさ。

 

 その考えは、学校がおしつけた12教科5科目に毒されてんだよ。あんなものでキミのほしい幸せが手に入るはずがない!

 

 冷たいこというようですが、ドリーはドリーにしかならない。彼女は忘れっぽく、それが治ることは物語の最後まで決してない。

 

 だけどやりきるんですよ! ドリーはドリーの考えかたでやり方で覚えかたで! それがいいんです。

 

 シンゴジラもいいけど、できればドリーも観てほしい。ぜひ劇場に行ってみてください。