そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

もう食べれないそばめしふりかけは子供時代のご馳走だった

 

 何を食べるのもはじめてだったあの頃、子供にとってはごちそうと呼べるものがいくつかありました。 

 

 なぜか家ではたまにしか出なかったなめこの味噌汁。台湾に住んでいた頃は時々しか買えなかった特濃ミルク8.2。友達の家でしか食べられなかったコアラのマーチ。

 

 そういう子供の頃のごちそうは今あらためて食べるとそうでもなく、おいしいけどなにか違う、と思ってしまうものです。でもそれは気のせいで、ただ食べ慣れてしまっただけなんですよね。大人になって、ふだん食べられなかったものが簡単に食べられるようになったその瞬間に、子供時代の幻想は消えちゃうんです。

 

 そうやってボクのなかにもたくさんの子供時代のごちそうが消えていっているんですが、ひとつだけ、まだ幻想のままになって記憶の中に残っているごちそうがあるんです。それが永谷園のそばめしふりかけです。

 

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 小学生の時は衝撃的でした。ご飯の上にかけて、かき混ぜるとやわらかいそばと小さなお肉が混ざってこれがなかなかうまいんですよ。ボクの小学校は昼食が弁当なんですけど、当時、あのふりかけをもってきたヒトはヒーローでしたね。

 

 大げさだと思うかもしれませんけど、これが違うんですよ。当時はですね、父の仕事の都合で台湾のほうにいたので、その時、日本で売られているふりかけは祖父母から送ってもらわない限り手に入らなかったんですよ。

 

 だからこそ、あれはボクにとって子供時代のごちそうになれたわけです。

 

 それじゃあ、今なら食べられるのか? そうは問屋がおろさないんですよ。

 

 あれは小学校4年か5年の時だったんでしょう。あのふりかけは突如、日本のスーパーから消えたんです。これは小学生の間でやりとりされたヒトからヒトへの又聞くきによる信憑性の薄い情報なんですけど、ちょうどこの時アメリカの牛からBSEのうたがいがあるからってので輸入を停止しまして、それが理由で出さなくなったらしいんですよね。

 

 中学までは吉野家の牛丼のように復活してくれることを期待したんですが、結局、出てこないまま、昨日、思いだしてついつぶやいてしまったんですよ。

 

 ああ、そばめしふりかけ、また食べたいな。